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水無瀬兼成は、泰将棋の聖目の打刻をなぜ1升目分間違えたのか(長さん)

水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の、将棋盤の聖目(星)の表記は、かなり
いいかげんに見える。そもそも、後期大将棋から、大大将棋、それに
摩訶大大将棋の初期配列図まで聖目が、表記されない。では、その
後も全く書かないのかと言えば、そうではなく、摩訶大大将棋の
成りの図で、聖目表記が、突然再開され、自身が作成したと、
本ブログでは目されている、泰将棋には、聖目が書いてある。ところ
が、今回の表題のように、殿様、豊臣秀次に献上されたとみられる、
泰将棋の初期配列の図の

水無瀬兼成の将棋纂図部類抄の泰将棋の聖目打刻位置は、内側に1目
ズレている

のである。そこで今回は、この聖目のズレが、いったい何を意味する
のかを、論題としてみたい。
 最初に、何時ものように回答を書くことにする。

泰将棋はもともと、摩訶大大将棋を手本として作るつもりだった。ので、
出来上がった泰将棋の、仲人位置の内側下に聖目を書くつもりでいた。
ところがたまたま、仲人よりも袖の列を一列多く作ってしまい、その
結果、間違った位置に、水無瀬が聖目を書いてしまった

と、本ブログではみる。泰将棋は、将棋具も将棋図も、豊臣秀次に献
上すると飾られるのが、最初から決まっていたと見られる。だから、
形式や”算数”やゲーマーへの便宜等より、美術品としての、ぱっと
見の見栄えの方が、大切だったのであろう。数えなければ判らない正し
さよりも、摩訶大大将棋と同じパターンであるという、観察者の安心感
の方を、水無瀬が優先したのだろうと見られる。
 では、以下に以上の点について、少し説明を加える。
 前にも書いたが、水無瀬兼成作と、本ブログではみる泰将棋は、
25升目盤に7列づつ、計14列の駒を並べ、4枚の仲人を加えて、
陰暦の日数、354枚制の将棋とする、という仕組みの将棋である。
 従って7段に駒が配列されるので、自陣の標識である聖目は、
7段目の升目の上に打たれる。実際に、水無瀬兼成の将棋纂図部類抄
の泰将棋の、初期配列図ではそうなっている。しかし、聖目というのは、
もともと囲碁盤を将棋盤が真似たものとみられ、左右の列についても、
7段打ちなら、左右7筋の内側に打って、盤面に計4つ聖目が来るよう
にするのが普通の打ち方である。つまり泰将棋では、サイコロの
5の目のような位置に、中央に11×11の領域、四隅に7×7の
領域が、聖目によって分割されてでき、前後左右に、11×7と、
7×11の升目領域が出来るというのが、普通の姿である。ところが、
水無瀬が将棋纂図部類抄で、聖目の打刻を、左右で1目、内側に間違え
られた結果、泰将棋の将棋盤を実際に作成すると、

中央に9×11の領域、四隅に8×7のいびつな領域、前後と左右に、
9×7と8×11の領域が出来てしまっている

という事である。これは、聖目を仲人の位置の、内側下に打つ事に、
水無瀬が、さいしょから決めていたためとみられる。仲人を泰将棋の
堅行の前の歩兵の更に前に置くと、聖目は正しく7/7に打てたはず
なのだが。実際には、猛熊の駒の前の前の升目が仲人なため、内側に
聖目がズレてしまったのである。
 もともと水無瀬兼成で無くても、堅行の筋には仲人は置かないので、

仲人は猛熊の筋に、もともと置くつもりだったのであり、たまたま
水無瀬が、猛熊の筋を、実際には端から数えて8筋にしてしまったの
に、7筋にしたと勘違いしただけ

だと見られる。
 数えるとズレている事が判り、ゲーム具としては変なのだが、

ぱっと見では、泰将棋の聖目のパターンが、摩訶大大将棋の盤と、
同じに見える、”美的効果”の方が大切だと考えない限り、こんな
風にはしない

と、私は推定する。なお、それなら猛熊の配列を変えればよかったと
いう意見が出ると思うが、それもその通りだったのだろう。しかし、
袖を、車列は別にして、驢馬、変狸、馬麟の3組と、行駒2つと飛牛
を入れ場が無いため入れたら、猛熊はまたまた8列目に、なってしま
ったのだろう。
 他方もとから、水無瀬は、

仲人やその類の畸犬の位置を、大大将棋に合わせるつもりだった

とみられる。大大将棋で畸犬が、猛熊の前の前の升目に配列されたの
は、大大将棋が摩訶大大将棋より成立が、実際には後であって、

大大将棋は摩訶大大将棋を真似ている例の一つだと、私は思う。

盲熊(摩訶大大将棋)はオリジナルであって、大大将棋の盲猿から
作られたものではないのだろう。恐らく猛熊(大大将棋)の方が、
盲熊(摩訶大大将棋)の真似なのであろう。もともと、大大将棋の
作者は、大大将棋の猛熊を、摩訶大大将棋の盲熊の駒の動かし方
ルールにしていたはずである。その証拠に、

大大将棋の方が、摩訶大大将棋より新しいのがバレると見た水無瀬
兼成が、将棋纂図部類抄には、大大将棋の猛熊の駒の動かし方の
打点を、略して、表示していない

という”証拠”が有るのである。
 しかし、大大将棋の”前に行けない猛または盲熊の前に、仲人
(または畸犬)駒を置くというアイディアを、水無瀬は泰将棋で、
さいしょから真似るつもりだったのだろう。猛熊の前の仲人配列は、
角行を底に沈めてしまうと”無難な選択”だからだ。そのため、

泰将棋でも、大大将棋と同じく、仲人が猛熊の前にある

のだと、私は思う。ところがそうしたら、たまたま猛熊の筋を、
水無瀬が数え間違えてしまい、聖目の打点位置が、たまたま泰将棋
ではズレてしまったようだ。
 以上のような顛末だったのだろう。泰将棋が、作り方の要領も、
余り巧みと言う訳でもなく、またそのように要領の悪い、ぬかるみ
のような開発条件の中で、焦って作られた物である証拠の、一つな
のではあるまいか。
 ちなみに、この”泰将棋の間違った聖目”は、将棋纂図部類抄に
ついては、そのまま写本されつづけた。しかし江戸時代の別の将棋
本である将棋図式では、

こんどは、泰将棋の仲人が、外に一つズレ、堅行の前に間違って
記載された上で、将棋図式では、泰将棋の聖目自身が無くなって
しまう

という混乱が起こった。こうした混乱は、更に後の将棋六種の図式
では避けられたが、この後しばらくは残されたようである。
(2018/07/20)

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