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広島市広島城より明治期歩兵石碑(長さん)

今回は、明治時代の日清戦争時建てられたと
記録されている戦争石碑の破片に、複数の
「歩兵」という文字が刻まれているという旨
の話題である。

地元から歩兵師団として出軍した事との旨の
内容であり、本物の歩兵であって日本将棋の
歩兵駒は指さない

とみられる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
16632_2_広島城跡八丁堀地点発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の表題は以下の通りである。
広島城跡八丁堀地点発掘調査報告書、2010年、
株式会社パスコ・財団法人広島市文化財団。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場所
は、広島県広島市中区八丁堀。
 遺物が出土したのは、西暦2007年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は発掘報告書第74ページ
付近の「Ⅵまとめ」によると、明治29年
(西暦1896年)設置の「北清事変記念碑」
かもしれないと見られているように、読み取
れる。近代のものとみられているようである。
 遺物の写真は、冒頭に示した第2写真図版
pdfの写真図版第61の第2段目にある。
同系統の遺物は発掘数が数個以下だった模様
で、特にナンバリングはされていない。

広島城歩兵.gif

 上図のように、下部の拓本によると、残っ
た破片の第5行目から9行、歩兵と書いてあ
るように読み取れる。
 9行だと

日本将棋の初期配列を一見連想するが、前段
に「師団」等の文字があり、将棋には関連せ
ず、日清戦争に出軍した、地元の師団が9隊、
歩兵隊を所持していた事等を示している

のであろうと、私見する。
 現物は広島市に太平洋戦争末期に落とされ
た原爆で吹き飛んで、破片になったのであろ
うか。(2023/03/22)

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