SSブログ

岐阜県坂祝町梅替遺跡で古墳期西泰山酒立墨書土器(長さん)

 今回は、「西奉山酒二立」等と縦に数文字、
古墳に副葬される、高杯型土器の台の部分に文
字が書かれているように見える、出土遺物の紹
介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
16023_2_梅替古墳.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岐阜県文化財保護センター調査報告書第135集
梅替古墳、2015年、岐阜県文化財保護センター。
 発掘報告書第2pdf末尾の抄録によると、
遺跡の場所は、岐阜県加茂郡坂祝町深萱字梅替。
遺物が出土したのは、西暦2014年前後の事
のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第104ページ
の記載によると、古墳自体が6世紀前期から
中期にかけての、古墳時代後半のものと考えら
れ、遺物もその時代の高脚杯の台座部と考えら
れているように受け取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第9の、
最上段右にあり、遺物番号第42番との旨、
ナンバリングされている。繰り返すと高脚杯状
土器の脚台部の破片とみられる土器遺物である。

梅替古墳西泰山酒.gif

 上図のように刻書か墨書か、その組み合わせ
かで、漢字で「西奉山酒二立」(+イラスト)
等と読めるような、文字と末尾に図のようにも
見える模様がある。西の山とは迫間山の事であ
ろうか。
 飛鳥・奈良期でなく古墳から出土した古墳時
代の物品であるとすると、整った漢字を普通に
書けるような識字層が、この古墳の埋葬者と、
発掘報告書で見られている有力家父長に、もと
もと付き人として関係していた事を示している
のかもしれないと、私的に疑われる。
 日本で漢字が盛んに使用されるようになった
のは、7世紀後半の古代からでなく、古墳時代
からであるという、証拠のひとつと言える物品
のなのではなかろうか。(2023/03/24)

nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。