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旧暦モドキを作成し、定朔のたいへんさを実感(長さん)

本ブログでは、南詔で囲碁が打たれず、
出来のよいゲームに対する目が失われたのは、
定朔の暦への移行が原因。日本で飛鳥京から、
碁石が出土するのは、負けずに定朔の暦法に
対応したためであると、これまで主張して来
た。囲碁のゲームとしての出来の良さとの
落差から、将棋は敬遠され、

西暦700年から西暦1000年の間には、
わが国に将棋は無い

というのが、本ブログのテーマにとっては、
大事な推論の筋道である。
 今回は、太陰太陽暦をざっとだが、実際に
作成し、平朔から定朔にするのはしんどいの
を、身をもって体験してみた。結論だが、

朔の日が判ってさえいれば、太陰太陽暦の
作成は楽勝

である事が判った。では、以下に論を続ける。
 回帰年が365.2422日(現行約2000年
で、0.0001位減るが、webによると、3万年
後位から、朔望月の増加分を、一気に取り戻
すらしいが定かでない。)、平均朔望月が、
29.530593日なのは、それだけの事であり、
それは判っているとする。
 次に、章法に近い暦を作るため、メトン周期
に関する知識は上の事から、既知とする。
235朔望月が19回帰年に近いという意味で
ある。
 そこで、元期を何処にするのか、考えた。
webに、2014年が朔旦冬至だったと出て
いた。
 そこで、2014年の冬に閏を入れ、その前
は2012年の春最初の閏として。
2011年を新太陰暦モドキの元期(0年)に
すれば良い事は、ただちに判った。
2012年の年初3月に閏を入れて、西暦
2012年を、この暦の元年とし、2014年
冬の12月に閏を入れる、次は西暦2017年
の秋の9月である。そうすると11季節ごとの
閏を、規則正しく繰り替えす、

中世以降の従来の中国流、太陰太陽暦によら
ない、規則的な閏月規則に最初からして、この
旧暦モドキの特徴になる暦にする

事にした。こうすると、中気で、月名が決ま
らないかわりに、

西暦2033年問題が発生しない。
だから、この暦は、日本の今に伝わる旧暦よ
り、優れている事は明らか

だ。
 具体的な規則は、今述べたとおり閏は3月、
6月、9月、12月の4通りしか無く、
章法(メトン周期)を満たすように、

3カ月ごとの季節数でかぞえて、

間隔が、
11、11,11,11,11,11,10
と繰りかえして、最初の季節の中央の月に、
閏を入れ、19回帰年に7閏月になるように、
する事にした。
 次に、破章法処理だが。
まず、西暦2600年12月には11、11,
11,11,11,11,10のパターンの、
最後の10の最初のシーズン月に、閏月が
存在して、周期が終わるところのはずである。
次に西暦の2601年の、この暦の3月に、
本来なら、新しい周期の最初の閏があるはず
だ。が、それを6月の次に一つズラし、6月閏
に変える。つまり、次の11シーズンは、始ま
りが本来西暦2601年の、2月に元々なら
有ったはずなのだが、3か月ずれて、
5月開始になるのである。つまり上のパター
ンを、
11、11,11,11,11,11,11
に、1箇所だけ、

ほんの僅かに

西暦2011年の589年後に、変えるとい
う意味である。
 その後、西暦3201年、3801年、
4401年と600年ごとに、この暦の、そ
の年のこの暦の暫定年初から見て、10の次
の、初11シーズンの本来の挿入予定閏月
(11か月単位が始まる初日より、1朔望月後)
の月初に、日数が最も近い方のどちらかの閏を、
11,11,11,11,11、11、10
のパターンの最後の、本来なら10シーズン
であるはずの、終わりシーズンの次に、1シー
ズン入れたのちに、次の11、11,11,11,
11、11、10シーズンの初め閏パターンを開始
して、閏月位置を1シーズンずらす。つまり
結果として、パターンを、
11、11,11,11,11,11,11
に、1箇所だけ変わるようにする。こうする
事で、回帰年が、365.2422日にほぼ、
ぴったりとなる。つまり

平均して600年に一度、10→11に変更
するというやり方

である。
 どのみちグレゴリオ暦と暦年差は、一定で
2011であり、3000年に1日の精度で、
いっしょになるので、グレゴリオ暦で言って
も、この暦の年数で言っても、以上のように、
以降、だいたい

608年、589年、608年、・・
というパターンで、閏の置き方が、僅かに
長くなるようにして、メトン周期の誤差を、
吸収する、一種の破章法を取る事にしている

という事になる。なお、この暦を形式的に
辿ると、前回の10→11変更は西暦
1992年の、この暦の12月に当たる部分
の次への閏12月の挿入を、1993年の、
この暦の3月に当たる部分の次への、春の閏
月への挿入へ、変更したイベントであった。
 今回の工夫は、ここが事実上の、考えどこ
ろの中心点だった。これは、本ブログのやり
方が、
365.2422×45619年=16661983.・・
29.53059×564228=16661985.・・
となり、45619年に2日は、0と見なせ
る誤差だという理屈を、根拠としているとい
う事である。なお通常の中国暦では、
1000年より長い、共通分母は探した暦法
は、余り無い。
 つまり、45600年を564000月と
して、本来なら45600年の12倍は、
547200なので、16800閏を入れた
上で、余剰の19年を、1年を朔望12か月
の228カ月と、短くするというのは、
600年に一度つまり45600年に76回、
閏の全く無い3カ月(1シーズン)を足すと
いう意味である。
 ちなみに今はグレゴリオ暦の2019年だ
が、この暦の元期では第8年である。
 次に、朔日は日本の明石天文台を基準にし、
朔の瞬間の入る日を1日とした。

この計算が無いと、どうなるかが、今回の
論のポイント

である。
 ついで、月名の決め方だが、
中国の周よりあとの暦の、虎月正月は止めて、
グレゴリオ暦に近い、牛月正月にした。

だから普通の旧暦のように、月遅れでは無い。

つまり、朔旦冬至の月は、普通の天保暦では
11月だが、

ここでは、クリスマスの12月

である。ただし10日位、グレゴリオ暦より
もまだ遅い。
 この牛月正月の方が、陰陽道や五行を理解
するときに、時刻制度との関連で、むしろ混
乱が少ない事は、前に本ブログでは述べた。

だから、今回作った暦は、旧暦と1カ月づつ
だいたいズレ、グレゴリオ暦に近い。

ちなみに、本日は2019年11月03日だ
が、この暦では、晩秋11月の7日の月と、
表現される日になる。
 これで、来年(西暦2020年、本暦第9
年)の暦を作ると、グレゴリオ暦の日付と、
本暦のツイタチは、次のように対応する。
西暦2020年   朔(01日の月)日
寒冬の月(第01月) 2019年12月26日
早春の月(第02月) 01月25日
中春の月(第03月) 02月24日
盛春の月(第04月) 03月24日
初夏の月(第05月) 04月23日
紫陽花月(第06月) 05月23日
夏の閏月(第06月閏)06月21日(閏月夏至)
熱夏の月(第07月) 07月21日
暦秋の月(第08月) 08月19日
仲秋の月(第09月) 09月17日
盛秋の月(第10月) 10月17日
晩秋の月(第11月) 11月15日
師走の月(第12月) 12月15日
寒冬の月(第01月) 2021年01月13日
 なお、普及している”旧暦”とは、月名
が1カ月づつ、ずれているのは、今述べた
通りだが、閏月も、入れ方がこのやり方は、
機械的なので、1月分ヅレて、遅く入って
いる。数百年経つと、早く入れすぎるよう
になるので、今はこれでちょうど良いので
ある。
 そこで、既存の旧暦と、張り合いたくな
いため、月名は、頭に示したようなパター
ンが良いように思う。暫定的に入れてみた
が、もっと良い名前が有れば、変えるべき
だろう。
 日名も、カレンダーであるというよりは、

月の形を把握する道具である事を強調し、

次のように、表現すると良いように思えた。
01日~10日:ツイタチ、2日月、3日月、
4日月、・・9日月、トオカ月。
11日~19日:11夜、12夜、13夜、
・・、18夜、19夜
20日~29日:ハツカ月、ニジュウイチ
ニチ月、22日月、23日月、・・・
28日月、29日月(場合により、ツゴモリ)
30日:(ツゴモリ、またはミソカ)。
以上のように言う事を、推薦する事とする。
 以上だが作ってみて、太陰太陽暦の製作は

朔日(時間で分の精度)の、国立天文台の
暦計算室作成のリストがありさえすれば、
ごく簡単だ

と、しみじみ感じられた。
 ”朔日は各々で、天体観測して、三体問題
を解いて、月の黄経不均の最初の5項の周期、
振幅、元期位は自分達で決めろ”と、唐王朝
の暦担当者に、仮に意地悪を言われたら、

南詔国の暦博士は、定朔に、する事自体の
やる気を失ったのは、自明

だと考えるのは、ごく自然だと思われた。
 なおその他、予めケプラーの方程式を解い
て、地球の近点角を求めておく必要もある。
 そもそも、更にはその前に、三角関数表を
自分で作らなければならず、それは借りると
すれば、何かを見て答えを出しているという
点では、日本の国立天文台暦計算室の数値デー
タを見ているのと、本質的にいっしょだ。
 日本のように、なんとか、唐代の暦法には
ついてゆけるが、百済の命運が危なそうだ
から、自分でも考えるという意識ならば、

下級役人の尻を叩いて、囲碁の勉強をさせな
がら、日本の朝廷のように、定朔に変えると
言う事は、日食が怖ければ有った

のかもしれない。しかし、中国雲南では、
それも無かった。つまりは、

唐王朝期の、暦の定朔への移行時の民族間の
対応の差が、西暦1000年までは、別の所
で指されていて、日本では将棋として普及し
なかったという運命を、予め決めていた

と考えて良いのではないか。
 以上のテストから、私にはそう、推定され
たのである。
 なお流星学の方でも著名だが。上に述べた
定朔にするための計算方法の普及等、暦学
との関連でも知られる、元国立天文台の職員
で、東京都在住の長沢工博士が、西暦
2019年10月28日、(本暦の第8年、
晩秋11月のツイタチ朔日)に他界された。
私のような者にも、娘さん作の、イラスト入
り年賀状を、毎年送って頂いていた。謹んで
御冥福を祈るとともに、近々、御自宅へ線香
を上げに行こうかと考えている。(2019/11/03)

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