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東アジア盤上遊戯史研究に河界無し駄馬賦象棋盤(長さん)

今回は、表題の”駄馬賦象棋盤”については、
清水康二氏著作の”東アジア盤上遊戯史研究”
(明治大学学位請求論文、2017年)の94
ページに図が示されているが、web上での、
片側駒20枚制打馬の説明および、前記論文の
本文中での説明と違い、

河界の存在が確定的でない

との内容の紹介をする。恐らくだが、清水康二氏
への中国からの情報に、不確定性の存在が疑わ
れる。
 日本の将棋伝来中国説でかつ、比較的清水氏が、
中国シャンチーの完全成立期に関して、早めに見
る傾向がある事から来る、

彼の論が中国伝来派で、たまたまあるための、無意
識の偏りが多少懸念されると私見する。すなわち、
西暦1134~1136年時点で、11段シャン
チーが残存して、ルール不統一だった疑いもある。

では、以下に論を開始する。
 今の所、問題の”駄馬賦象棋盤”については、
前記の清水氏の論文の94ページに図でしか、
私には確認されていない。今後この図が、別写書
等として存在し無いのかどうか、情報を更に詳し
く調べてみる必要があると、以下の理由で私は見
る。ともあれ清水氏は、以下のように冒頭で示し
た、彼の論文の本文中では紹介している。
(以下引用)
『事林広記』(13世紀中頃)に所載の「打馬図
経序」(1134年)に附属する河界を持つ可能
性がある象棋盤の図がある。
ので、この図が『事林広記』成立時点に遡るもの
であり、李清照の「打馬図経序」が記された時の
ものであれば、南宋初頭頃には河界の存在を確認
できるかもしれない(陳元装 1999)。
(以上引用。陳元装の”装”は仮に当てた。)
以上に述べた後、清水氏は、朝鮮チャンギと中国
シャンチーの河界の有無について論じている。
 ところで、論文に載せられた図だが、

河界は無いように、私には見える。

以下の点は本ブログで前に述べたが、web上で
記載されているゲーム、片側駒20枚制打馬の説
明、”ゲーム盤に背景画として、中国シャンチー
の盤を描く事と、河が打馬の盤の升の一部として
使用される事に特徴が有る”とも一致していない。
清水氏の論文の図を見る限り、ゲーム盤は、象棋
盤を使うようであり、ゲーム説明の雰囲気を出す
為に、役や打馬のルールを、描いたゲーム盤の周
辺や、盤の一部の中に、ちりばめてあるような、
ゲームポスター図が”「打馬図経序」(1134年)
に附属する河界を持つ可能性がある象棋盤の図”
のようである。そして、

河界があるように見えるのは、説明部分の挿入部
が、盤中央に、たまたま有るためだけ

のように、図から私は疑う。その証拠に、河界部
分に半分だけだが、第2線が書かれている。また、
webの説明とちがって、ルールの文言が、河界
だけではなくて、第3段目にもあり、そこの部分
は、両側の列線が消えている。つまり、

文字を入れたいので、盤線を消しただけ

のように、私には、この図からは見える。つまり、
幾つかの成書、清水氏の説明、webの説明とも

図の内容が、説明と完全には整合していない。

なお成書、清水氏の説明、webの説明の3者間
では、余り矛盾する情報は無いように、私には見
える。
 だから、清水氏が論文中で図として載せている
中国側から提供されている、”『事林広記』
(13世紀中頃)に所載の「打馬図経序」
(1134年)に附属する河界を持つ可能性があ
る象棋盤の図”は、

情報が不自然

なように、私には見える。よって更に、別の書写
バージョンの情報等を、探すべきだろうと現時点
で私には考えられた。
 更に、清水康二氏紹介の”河界を持つ可能性が
ある象棋盤の図”には、河界が無いだけでなく、

現行の中国シャンチーに比べて、段線が1段多い

という問題もありそうだ。現在の河界にあたる部
分の中央に、もう1線入っているのではないかと
疑えるような図が、実際には書いてあるように、
私には見えるからである。こっちの方が問題が大
きいと私は考える。すなわちもし、この図が本
当だとすると、

西暦1134年時点で、中国シャンチーが統一
ルールになっていない、可能性さえ有りそう

だ。清水氏は、冒頭紹介論文の127ページでは、
北宋末等に、11段シャンチーが有ったとの説明
は、特にしていない。しかしながら、河が無いだ
けでなく、段が、北宋末象棋で不安定だったとし
たら、彼の伝来論にも、影響が出るだろう。なぜ
なら、東南アジア将棋伝来説の増川宏一氏は、

日本の小将棋の、中国シャンチーの成立時期に対
する早さを、中国伝来説への攻撃材料にしている

からである。従って中国側文献から提供された、
”「打馬図経序」に附属する象棋盤の図”に不明
確な点が有ると言うのは、今述べた点で更に問題
だと、私は思う。
 清水氏の論文を読むと、玄怪録の”岑順”も、
中国の近年著作の引用だと、出だしの駒の動きを
記載した直後に、唐代伝奇集の、前野直彬訳では、
”こうして鼓の音は次第にせわしくなり、両軍と
も兵力を繰り出して、矢玉飛び交う激戦となった”
となっていたが。”両軍は鼓の音に合わせて交互
に着手を繰り返し、砲矢石が飛び交う戦闘になっ
た”等と、

中国シャンチーに宝応将棋が、接続するとの説に
とって、少し有利なように、作り変えられている
疑いもあると、前にも本ブログでは述べたが問題
がある。

 よって、今述べた点から考えても、中国の近年
執筆の遊戯史書は、注意しなければならないし、
「打馬図経序」に附属する象棋盤の図に関する、
たまたま清水康二氏が引用した、中国近年の
解説書の中にあるという事かもしれない情報には、
妙な点があるのかも知れない。
だから、更に調査が必要なように、私には疑われ
た。以上が結論である。(2020/04/04)

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