SSブログ

ウルムチ博物館の唐代将棋盤はトルファン出土らしい(長さん)

以下、大内延介氏の西暦1986年の成書、将棋
の来た道(メコン社)85ページ上に、説明無し
に出ている写真の中の、西洋チェス型の”象棋盤”
と、大内氏が説明した史料についてである。
 ウルムチ博物館の展示場で紹介されている、
遺物の説明名札について、何と書いてあるのか、
以下、それだけについてが議論内容である。

成書の写真は、充分には鮮明で無いが
”トルファンの某所(読めない)出土”とある

ようだ。
 以下もう少し詳しく論じる。よく知られている
ように、ウィグル自治区内のトルファンからは、
囲碁の美人画が発見されている。美人画は、

トルファンのアスターナ(阿斯塔那)古墳である
から、トルファン市街から近い事に関して同じだ。

つまり、時代が同じかについては、大内氏が聞い
た、ウルムチ博物館の解釈に関して、なおも疑う
べきだろうが。

同じ街で、囲碁とイスラムシャトランジが、どち
らもプレーされた可能性が高い

ようだ。これは、

本ブログにとっては、相当都合が悪い事実

とみられる。
問題の博物館で作成した名札だが。
1段目に将棋盤
2段目に唐代

3段目に吐魯番(トルファン)

4段目に読めないが、たぶん遺跡名が4文字
とそれぞれ、かなり判読に苦労したが、私にも
大内氏の成書上で、やっと読み取れた。
 恐らくだが、この”将棋盤”はトルファン出土
品で、博物館では、

囲碁を打つ、美人画と同じ唐代

と見ているのであろう。
 仮にイスラムシャトランジ盤の方が元王朝時代
だったとしたら、以前に述べたように、モンゴル
帝国のチャガタイ・ハン国では、囲碁は廃れて、
イスラムシャトランジを、指していても良いはず
である。当時トルファンは、元王朝とチャガタイ・
ハン国の間の、”国境近くのの町”だったとみら
れる。
 しかしながら、博物館の言うとおりとすると。
唐美人は囲碁を打った結果イスラムシャトランジ
にはゲームに難が有るのに気がついて、問題の
イスラムシャトランジは、指さなくなるはずだと
の、本ブログの論は、

根底から崩れる反例となる

可能性が高くなる。これは、かなり困った結論に
なったと現時点で、認識する。(2020/04/12)

nice!(5)  コメント(0)