SSブログ

なぜ近代だけ将棋駒価値を数量化したのか(長さん)

以前、近年になって、将棋遊びの盗み将棋と
振り将棋を連結したゲームが、北関東から
東京下町にかけて行われているという紹介を
した事があった。ところが、この連結ゲーム
は、江戸時代の嬉遊笑覧等には記載が無い。
嬉遊笑覧の将棋遊びは、例えば古事類苑の
遊戯部30の将棋で紹介されているが、勝敗
を決める基準が、今より数量化されていない。
すなわち古事類苑には、嬉遊笑覧にある将棋
遊びとして
1.飛び将棋、2.回り将棋、3.盗み将棋
4.弾き将棋の4つが書かれ、1.の飛び将
棋は、部分紹介なため、ゲーム内容が良く判
らないが、2~4の3つのゲームについては
元々が短文なので、全文紹介されている。
 その内容を見ると、そもそも
a.振り将棋が無い。b.回り将棋の終局
条件が、単に先行する別プレーヤーの駒の追
い抜きになっているので、単純競争ゲーム化
していて異なる。c.盗み将棋も、何らかの
数値の比較ではなくて、音を立てずに動か
すのが困難な駒(群)の、個別の移動のうま
さで勝敗を付ける。以上のように、抽象的に
勝ち負けの基準が記載されている。4.の
弾き将棋だけは、今の残る通りである。
上記a、b、cは、駒種の数量化が江戸時代
にほぼ、無かった事から来るようである。
 回り将棋で、歩香桂銀角飛玉の順番で格が
上がるというふうに決めるのにも、玉は取ら
れると負けだから、最高の価値なのは当然と
して、その他は駒の数量的価値が、七国将棋
の駒の古文書記載のように、近似的にせよ認
識されていなければ、序列は決まらない。
 ではなぜ、日本将棋の駒には、駒の価値に
つき、駒種で点数付けが、江戸時代には無かっ
たのかを、以下考えてみる。回答を書く。

貨幣に準えようとして、金銭値の価で定義し
ようとしたが、江戸時代にはその体系が複雑
なため、それが、ネックになり進まなかった

とみられる。以下に、説明を続ける。
 明治時代になり、円を単位として完全に
10進法で貨幣の価値は表現されるようになっ
たので、点数でも円でも銭と円との組合せで
も、それを単位として将棋駒価値の数値化は
出来るようになった。だから、

将棋の駒を貨幣に準えるような習慣が、日本
でも、江戸時代には有った

と考えると、盗み将棋で、駒種で点数を合計
して勝敗を決めたり、回り将棋で駒の序列化
をすんなりしたりという事が、無かった理由
が説明出来る。つまり、
点数では表せたが、貨幣単位に準えようとす
ると、貨幣の価値を表す体系が、両が有り、
朱があり、文がある江戸時代は、ややこしい
との心象が生じた。そのため、

数値化する考察自体は、和算の発達した江戸
時代にも難なく出来たのだろうが、日本将棋
の将棋駒の価値の数量化は、たまたま江戸期
には流行らなかった

のではないかと、私は思う。そのため、
回り将棋は追い越しで勝負がつき、盗み将棋
は、取り難い駒群が、取れた人間を勝ちにし、
後で取った駒全体の、点数総計を出して勝敗
は決めなかったのであろう。更にはaのよう
に振り将棋つまり、お金将棋自体が、発生し
なかったのであろう。
 そして、そう考えて矛盾が起こらない事は、

明治時代が来て、日本の貨幣表現の体系が
変わると、とたんに振り将棋や、角升目で
昇格する回り将棋や、総計を金額換算して、
勝敗を決める盗み将棋が、現に発生した事で
証明されている。

以上のような事ではないかと、私には現時点
で疑われる。(2020/10/02)

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー