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将棋駒使用鳥羽院の覆物占い方法出所は長秋記(長さん)

だいぶ以前に述べたが、源師時の長秋記の
1129年5月20日の条に、鳥羽院の御前
で、12枚の将棋駒を使った占いの件につき、
太宰府の唐人よりの伝来であるとの旨の未確
認情報があるとの報告をした事が有った。
 その当時成立した、中国シャンチー駒が、
中国から日本の朝廷には、限定伝来していた
のではないかという疑いの、根拠になる旨述
べたが情報の出所が良く判らないままだった。
しかるに最近、”長秋記のその日の条の別の
所に、唐人の書物に基づき、太宰府から伝来
したやり方が、占いの方法との旨が、書いて
ある”と取れる情報があった。
情報源は、以下の通りである。
広報太宰府 西暦2009年1月1日。
”太宰府の文化財 285”
web上に、広報太宰府が10篇ほど収録
されたサイトがあり、そのページの中に、
上記情報が載っている。サイト名は以下の
通り。
エイチティティピー://www.city.dazaifu.lg.jp/material/files/group/3/24868894.pdf

言うまでも無く、24868894.pdfというファ
イル名で、ダウンロード出来るpdfファイ
ルが載っている。太宰府の朱雀3丁目出土
将棋駒名木簡との旨で、桂馬・香車・歩兵
木簡の写真が、右下に載っているファイルで
ある。蛇足だが本文中に、桂馬・香車・歩兵
木簡の、大きさ等の解説がある。
 以上の事から、依然私は未確認だがどうも、
西暦1129年の覆物占いのやり方が、中国
人実筆の書物起源という情報が、占いをした
史実を記した、源師時の長秋記の1129年
5月20日の条の中の、別箇所に載っている
ようである。(2020/10/03)

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