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富山県富山市黒瀬大屋遺跡で古代中将棋墨書土器(長さん)

今回は、表題の遺跡で、奈良・平安期の
物品とみられる杯型土器の出土物の裏面
に、漢字で「中将基」と書かれている
ようにも見える遺物の話題である。

「奉中将」と墨書されているのではないか

と疑われる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
21909_1_黒瀬大屋遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。 
富山市埋蔵文化財調査報告94:富山市
黒瀬大屋遺跡発掘報告書、2018年、
富山市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、富山県富山市黒瀬。遺物が出土した
のは西暦2017年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第43
ページ付近によると、遺物はA区の包含層
表土で出土したが、9世紀、平安時代前期
の物であると見られているように読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
12:”A区出土遺物(6)・B区出土遺
物(1)”の、第3段目の左に有って、
遺物番号第101番との旨、ナンバリング
されている。杯型土器裏面の写真のように、
私には見える。

黒瀬大屋中将棋.gif

 上図のように、縦にかなり大きく漢字で
整った字で「中将」と書かれ、その右に、
「基」か「奉」のように見える模様も有る。
本品発掘報告書に墨書土器との記載があり、
「中□」と釈文されているように、報告書
第43ページ付近から読取れる。私見だが、
欠けているものの、第2字目はかなり鮮明
に、将の旧字のように見える。
 荘園地帯の在地土豪が都の”中将”と関
連し、中将へ土豪が献上品を納める際に、
用いたようにも見える。
 基が碁や棊では無いようであり、9世紀
に中将棋が成立していたとの証拠としては
弱いと、今のところ考えている。富山県が
東国への街道沿いの一帯である等の為、都
の貴族との結びつきが強かった等の事情か
もしれない。(2023/02/16)
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