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静岡県梶子北遺跡で奈良期奔馬墨書土器(長さん)

今回は、静岡県浜松市の遺跡で、平安期
に「牧」の存在を連想させる、漢字で
「奉馬」と書かれたように見える、土器
遺物出土の話題である。
 以前浜松市の宮竹野際遺跡から出土した
龍馬墨書土器に関し以前このブログで「こ
の近辺に、牧の類が存在する疑いがある」
との議論をした事があったが、それを支持
するという内容である。
 なお、近隣の梶子遺跡では、「卆」墨書
土器が複数出土していて、イスラム
シャトランジ関連ではないかと、疑われた
事もある。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
22801_1_梶子北遺跡Ⅱ.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
静岡県浜松市梶子北遺跡Ⅱ、1999年
12月、財団法人浜松市文化協会(当時)。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場
所は、静岡県浜松市西伊場町2248-1。
遺物が出土したのは、西暦1999年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物は”調査区西半”
で出土したが、発掘報告書第8ページの記
載によれば、甕型土器の小破片とみられて
いるようであり、7世紀~8世紀の飛鳥期
から奈良時代のものとされているように、
読取れる。宮竹野際遺跡の龍馬墨書遺物が、
奈良期であるから、同じ頃のように私見さ
れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
4:”出土土器”の上カラムの”調査区
西半”の、最上段右に在り、土器出土品の
第12番の意と見られる旨、ナンバリング
されている。

梶子北奔馬.gif

 上図のように、一見して濃い煤模様が在
るが、字は曖昧である。第1字目は”奉”
とも読めそうであるが、第2字目は、左側
と左下の黒い破片の模様はヨゴレだとして、
”馬”と書いてあると言われれば、そうも
見えるという程度である。

ひょっとすると、浜松近傍に牧場が在って、
朝廷に献上する馬に付帯させる、水桶の甕
たったかもしれない

という程度であろうか。龍馬墨書土器と本
「奉馬」墨書土器を組み合わせると、浜松
市付近で馬を飼う牧場が、奈良時代やはり、
在ったのではないかと、おぼろげながらだ
が見えてくるように思う。(2023/02/06)

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