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(コラム)尖ったもので目を傷付けた(長さん)

最近、軽い眼の外傷に見舞われ、

罹病している期間だけ、老眼が消失

という奇妙な体験をした。
 草木の鉢植えで、冬眠中のモミジアオイ
という小鉢に植えたものを移動していると
き、枯れ枝の先で、左目をうっかり突いて
しまった。その日の

昼過ぎであり、全治1晩の怪我であった。

この記事は翌日に、自覚症状がほぼ、無く
なった時点で書いている。
 モミジアオイの冬枯れ株の群の写真を、
下記に示す。

SD_Video_モミジアオイ冬鉢.gif

 上記のように、写真には28鉢有り西暦
2022年梅雨頃発芽。咲かずに冬越しし
た個体群であり、成長不足で丈40cm程。
全部枝が一本しか無く、根元近く以外枯れ
ていてワラ位の弾力性が在り、手で折れる。
先が尖っているが、指で簡単に折れ曲がり、
歯ブラシの毛位の硬さである。
 写真のように先端が尖っているが、極端
では無い。本当は、生きている、根元の緑
部分の少し上から、折って冬季には管理し
ないと、翌年の葉の付いた新枝を細くする
原因になり、

上の写真は実は管理の仕方が悪い例である。

 めんどうなので、処理を忘れただけであ
った。硬く無いので、枝が尖がっているが、
注意しなかったのは、結果から見ると、
かなりまずかった。
 邪魔なので、コンテナに入れて持ち運ん
でいるときに、一本の枝先が角膜を突いた。
ピリッとした感じで、痛んだがそれほどで
もなく、突いた左目の充血は、右目と比較
して、1時間後に僅かに赤くみえる程度。
 夕方になり、街路灯を見ると、左目で見
たときだけ、左側にハレーション(暈)が
見えていた。シンナーで、角膜をやられた
ときに似ている。眼鏡を掛けるとパソコン
の画面が、左目だけボヤケるので焦ったが、
もっと驚いたことに、

眼鏡を外すと、左目だけ細かい字が読め、
遠視(老眼)が一時的に無くなっていた!

反射体を見ると、2重に見えるので、遠視
が乱視に変わっただけで、怪我に感謝は
出来ないが。
 もちろん昔は老眼ではなかったから、左
目だけ若い頃に戻った不思議な感覚だった。
 遠方の視力の低下をさほど気にしない、
天体観測等には無縁の生活でかつ、乱反射
が無ければ、webにも「レーシック手術」
という名称で出ている

角膜の治療で遠視を治すのも、有効なよう
だと、左片目の像を見てそのとき納得した。

 残念ながら(?)眼科の治療と異なり、
単に怪我でそうなった場合は、角膜表面の
再生力で、この一時的な組織の変化は、直
ぐに元通りになってしまう。現に

翌朝目が覚めると、老眼の左目は元通り、
右目と同じになってしまっていた。

 今も傷は多分残っているが、炎症自体が
治まってしまったのだろう。コロナ対策に
購入した簡易ゴーグルをつけて、外出する
ときには、目に雑菌が入らないよう、ここ
数日は注意し、様子を見ることにした。
何か起こったら糖尿病のテストで以前厄介
になった、我が街の眼科へ行こうと思う。
 子供の頃、親や祖母には、先の尖ってい
る物品を、取り扱うとき、「目を突かない
ように」と、私はよく言われたものである。
 最近は物品がマスプロ化して、園芸植物
のモミジアオイのヒコバエを、捨てずに飼
うという特殊な生活でもしない限り、目を
突き易い危ない事物には、余り出会わなく
なり、注意する保護者も減ったようだ。
 それに、若い頃には、そもそも老眼では
ないから、目と接触するまで異物に気が付
か無い事も余りなかった。いまどきは子供
より老眼の年寄りに「尖った事物・物品で
目を突くな」と、注意した方が良いに違い
ない。
 目を突いて眼病になり、京都から九州
福岡県太宰府に治療に行った人物としては、
西暦1014年暮れ頃の、藤原隆家が知ら
れている。幸い軽かったようだが私も、恐
れおおくも貴人の藤原隆家と、今回同じ
タイプの怪我をしてしまった。
 それにしても怪我をしたら体が悪くなる
というなら普通だろうが。慢性の持病が、
半日だけだったが、治ってしまったという
のも、不思議な体験ではあったと思う。
(2023/02/08 その2)

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千葉県千葉市黒ハギ遺跡で古代宍→猪走墨書土器(長さん)

今回は、千葉県千葉市で古代に官衙勤務
の者が居住したとみられ、「宍走」と、
発掘報告書で釈文された土器が複数出土し
ているとの旨の紹介である。

「猪の肉を奉納」と、無理やり解釈すべき

とみられる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
22580_1_千葉市土気東遺跡群調査概報.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
千葉市土気東遺跡群調査概報:
黒ハギ遺跡・奥房台遺跡・五十石西遺跡・
五十石遺跡・北河原坂第1遺跡
長塚遺跡・上塚遺跡・
文六西第1遺跡・文六西第2遺跡・
文六東第1遺跡・文六東第2遺跡・
宮台遺跡、西暦2009年、
(千葉県)千葉市土気東土地区画整理組合・
財団法人千葉市教育振興財団。
 ここで話題にする遺物は、このうち、
中心的な遺跡とされている、黒ハギ遺跡で
出土したとの事である。なお、黒ハギ遺跡
では、複数種類の墨書土器が出土し、発掘
報告書の見解では、墨書遺物は黒ハギ遺跡
でしか出土して、い無いとの事である。
 発掘報告書末尾の抄録によると黒ハギ
遺跡の場所は、千葉県千葉市緑区土気町
270番地。遺物が出土したのは、西暦
1997年から2008年の間との事で
ある。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の抄録の
要約によると、文字資料は古代の遺物と
解釈されたようである。集落跡は7世紀、
古墳時代末から存在すると見られているよ
うに発掘報告書第75ページの「まとめ」
から読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の第51ペー
ジの”文字資料墨書土器その他2”の最下
段の中央に有るものを、下に掲げる。
「黒ハギ出土物の第1091番」とナンバ
リングされ、第12号住居跡で出土したと、
図の下部に付記されている。杯型土器の破
片の裏底を見ているように、私には見える。

土気東猪走.gif

 上図のように、「永主宍走」と、発掘報
告書で報告者から釈文されている。宍走の
部分は、専門家に鑑定依頼したようである。
 実は、発掘報告書に、第1~2字目だけ
の墨書土器がもう一枚。第3~4字目だけ
の墨書土器が、9枚前後掲載され、遺物
観察表から特に後者の実数は、更に多いよ
うである。
 釈文は、私にも「永主宍走」と読め正し
いように考える。が、

意味不明である。

「宍」を「猪の肉」と解釈すると、猪走の
逆が「走猪」で、大局将棋の駒に有り、将
棋と関連するのだが。「水主宍足」と無理
読みした上で、第3~4字目が「宍足」だ
と、仮にすると将棋には関係無い事になる。

付近、後のゴルフ場隣等の沼の主の龍神に、
猪の肉を焼いて納め、奉るという、祭祀用
の土器

という意味なのではないだろうか。
 明快にこのケースは、第2字目は「走」
だが。「足」と、病気の回復祈願の為とみ
られる「呪い土器」に書かれた、土部分が
口と置き換わった土器の字の書体と、雰囲
気が一応似ているとは思う。
 一例の解釈としては、長岡京の時代に、
「大友永主は無能である」と、千葉県で
語った可能性も無いとは言えないが。複数
の「無能」土器を家内で作成するというの
もそもそも意味不明だと私は疑うので。
このケースには、水神への祭祀用土器であ
る可能性も、完全には否定出来ないのでは
ないかと私見する。(2023/02/08)

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