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三重県松坂市大川上遺跡で平安期山泰墨書土器(長さん)

以前三重県松坂市の村竹コノ遺跡、西肥留
遺跡で、それぞれ山将、奉基王と書かれた
弥生末から古墳初の墨書土器が出土したと
の旨の紹介をした。今回は時代が平安時代
と大きく下るが、そのとき紹介した遺跡か
ら、数キロないし十数キロの地点である、
表題の大川上遺跡で、廃寺に近いために、
その関連と見られるが、かなり多くの墨書
遺物が出土し、その中に、発掘報告書で
山( )または山寺、本ブログの見解で「
山奉」ではないかとみられる祭祀内容が同
系統の墨書土器が、出土している為、更に
紹介
する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
20788_1_大川上遺跡発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
三重県埋蔵文化財調査報告189
大川上遺跡発掘調在報告、1999・3、
三重県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の
場所は、三重県松坂市中万町大川上。
遺物が出土したのは西暦1998年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物はB地区の第
30土抗から出土しており、発掘報告書の
第8ページ付近の記載から、平安時代
中期と推定されているように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版を2枚
ずつ並べた後半のページの第20ページの
下のコマの、中段右から3番目に在り、
遺物番号第55番とナンバリングされて
いる、細かい土師器の破片のように私には
見える出土物品である。

大川上山泰.gif

 上図のように、発掘報告書の8ページ
付近の本文解説の通り、2文字縦に書かれ
ている、墨書土器のように私にも見え、
私見だが、「山奉」と書かれているように
私には見える。が第2文字目はやや不明確
であり、発掘報告書の釈文のように「山寺」
の可能性が、全く無いとまでは言えないよ
うに私も見る。
 祭祀用の墨書土器である事は、間違い無
いように見える。なお、発掘報告書第20
ページには、合計約27個程度の、土器の
破片等の写真が有るが、ほぼ全てに墨書が
有るように、私には見える。このページの
土器には、呪用の言葉が、ちりばめられて
いるとみられるフシがあるようだ。発掘
報告書の他のページにも、墨書土器は複数
写真が記載され、特に、発掘報告書第19
ページ、上のコマの写真の右と中央の土器
の底裏側に「神宮寺」と書かれているとし
て、発掘報告書では古文書と合うため注目
しているようである。墨書きしているのが、
僧侶のような階層の人物である事を示唆し
ているのかもしれないと、私は疑う。
 古墳時代の道教に影響された伝来の
山岳信仰が、現在の日本の神道の山岳信仰
と、我が国ではほぼ切れ目無く、少し変形
した上で繋がっていることを、時代の違う
同じ型の墨書が、同一地帯で出土している
事で示されているように私は見る。
 何れにしても、三重県松坂市の集落の古
さには、改めて驚かされる。(2023/02/25)

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