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三重県松坂市西肥留遺跡で古墳期奔王墨書土器(長さん)

今回は、表題の遺跡で墨書土器で”+”と
書かれているとの発掘報告書見解の遺物に、
奉基王と書かれている疑いのある。出土物
の紹介である。なお、以前同じ松坂市の、
村竹コノ遺跡で山将墨書土器が出土したと
の旨の紹介をしたが、時代が近い上に、
互いに十キロ前後の距離なので、同じ一族
の王と将なのかもしれない。発掘報告書の
”+”も有り、ヘラで刻んだ線のように私
には見える。
 さて遺物写真がweb上に公開されてい
て発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
21030_1_西肥留遺跡発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
三重県埋蔵文化財調査報告293
西肥留遺跡発掘調査報告(第1・2・3・5次)、
2008年3月、三重県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾抄録によると遺跡の場所
は、三重県松坂市肥留町。遺物が出土した
のは西暦2004年~2005年の第2~
3次調査のときのようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第127
ページ付近の記載によれば、この地域の遺
跡は、古墳時代とする意見が主流であり、
遺物は報告書第138ページ記載によると、
第132号井戸から出土し、簡単に”+”
と墨書されているとの見解が書かれている
ように読取れる。ここでは以下範囲が広い
が古墳時代初、4世紀前後の遺物として議
論する。村竹コノ遺跡の山将の類のように、
この点だけからも、予想される。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
98:”出土遺物(39)”で紹介されて
いる、墨書土器の一群の、第3段目左に在
り、遺物番号第1041番との旨、ナンバ
リングされていて、杯型土器の底の裏面の
写真のように私には見える。

西肥留奔王.gif

 上図のように、中央やや左側のやや下に
縦に漢字で「基王」と読めるような、模様
が有るようにも見える。そして更にはっき
りし無いがカスレたように、それらの右側
にやや大きく、奉のようにも見える煤模様
もある。
 古墳時代の初めに、地域の有力者を祀っ
たようでもあり、王は「元祖」「源」の意
味で「基王」と呼ばれていたようにも見え
る。高見山地で鉱物探査をしている、知識
のある帰化人の一族が、古墳時代には一帯
を支配しており、村竹コノ遺跡では亡くな
ると葬られるときに「山将」、そしてこの
西肥留遺跡では「基王」として祭祀の対象
に、もしかするとなっていたのではないか。
以上のように、私的に疑っている。(2023/02/24)

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