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沖縄県うるま市平敷屋トウバル遺跡で奈良期山泰墨書土器

今回は、沖縄県うるま市の海岸近くの表題
遺跡で、沖縄県の後期石器時代で本土日本
の古代奈良期。中国の唐代とみられる時代
の土器に、漢字で「山奉」のように見える
模様の付いた出土物が、有るとの旨の紹介
である。

沖縄県の文字史料だとすれば、早期のもの
だとみられる。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
22427_2_平敷屋トウバル遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
沖縄県文化財調査報告書第125集
平敷屋トウバル遺跡、1996年3月、
沖縄県教育委員会。
 発掘報告書第1本文pdfの冒頭の抄録
によると、遺跡の場所は沖縄県うるま市
(中頭郡勝連町:当時)字平敷屋小字板武
座。なお、米軍基地のホワイトビーチ関連
の場所のようである。遺物が出土したのは、
西暦1993年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、第3群土器であると
考えられており、沖縄県の後期石器時代。
遺物として、遺跡の中心的時代のもので、
共出土品に同年代のものが多数あり、発掘
報告書第2pdfの本文末尾部第188ペー
ジ付近の記載によると、遺跡自体が有機物
の炭素14同位体法によると、日本の古代、
奈良期の試料が主体との事である。以下、
8世紀前後と仮定して、論を進める。
 遺物の写真は、発掘報告書第2pdfの
後半写真図版部の写真図版第28:”底部
破片土器(3)第4種(52~73)、
第5種(74~81)”の、最上段左から
2番目に在り、遺物番号で出土土器破片の、
第53番との旨ナンバリングされている。
土器破片の側面写真のように私には見える。

平敷屋トウバル山泰.gif

 上図のように、ほぼ中央のやや下に漢字
で「泰」か「奉」のように見える模様があ
り、その左上に、幾分重なって「山」のよ
うに見える第1字目が有って、「山泰」か、
「山奉」のようにも見える。第2字目が強
調されてい無いように見えるので「山泰」
だろうか。大局将棋の駒は泰山で第1字目
と第2字目が逆な為、沖縄県で本土の奈良
期に、大局将棋が存在したという意味では
無かろう。
 うるま市からは、北西に沖縄本島のなだ
らかな山が見えるだけで、現地は貝等の取
れる、海岸近くだったようである。偶然模
様かどうか、はっきりしないと私見するが。
文字史料だとしたら、沖縄県ではレコード
に近い可能性も、これだけ古ければ、多分
有るのではないかと私的に疑う。(2023/02/12)

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