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茨城県坂東市馬立原遺跡で奈良期泰山等墨書土器(長さん)

今回は茨城県坂東市の表題遺跡で、古代の
竪穴住居跡とみられる場所から、

恐らく「奉馬泰山」と書かれている、墨書
土器が出土している

との旨の紹介である。弥生時代後期に始ま
り奈良期まで続く「山岳崇拝と、馬を『帝』
に献上する祭祀」という流れが、茨城県で
持続されている姿と私見される。
 遺物の写真がweb上に公開されていて
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
27722_1_馬立原遺跡・馬立原西遺跡.pdf
 発掘報告書の表題は以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告第402集
馬立原遺跡・馬立原西遺跡。
今回紹介する遺物はこのうち、馬立原遺跡
で出土したようである。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、茨城県坂東市大字馬立字原674-
1等。遺物が出土したのは西暦2011年
前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物は馬立原遺跡の、
竪穴建物跡第5号で出土したが発掘報告書
の第31ページ付近の記載によると、出土
遺物の形態からこの建物跡は、8世紀後半
の、奈良時代後期頃のものと、みられてい
るように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版(PL)
第13:”(各所の)出土土器”の左下に
在り、竪穴建物跡(SI)第5号の遺物番
号第33番との旨ナンバリングされている。
皿か杯の形の器のように、私には見える。
高台付き杯であると、発掘報告書第33ペー
ジ付近の遺物観察表に、記載されているよ
うである。

馬立原奉馬泰山.gif

 上図のように、中央やや右上の”泰”の
ように見える模様が大きくて目立ち、その
左下に漢字で”山”のように、私には見え
る煤のような模様が在る。そして「泰」の
右下にかなり小さく「馬」とも書いて在り、
その上に煤のような模様があって、無理読
みすると第1字目は「奉」のようでもある。
第3~4字目の「泰山」については坂東市
は、山に接してはいないが。少し遠方に、
筑波山等が見えている。ので、筑波山等を、
「泰山」と言っているように見える。結局
4文字書かれていて、右から縦に読むと、

「奉馬泰山」で、日本での山の信仰が軍馬
を帝王に献上する祭祀と足されて弥生時代
に始まったと、これまで論じた本ブログの
論を、良く支持している墨書内容

のように私見する。奉じる相手が、前漢の
武帝等から日本の朝廷に、はるかに下った
奈良時代には代わっただろうが。中国人が、
日本に渡来したときから続いていると、本
ブログでは疑っている鉱山開発と牧場が並
存する渡来人住居の形からくる習慣が、少
なくとも民間では奈良期にも、日本に受け
継がれて継続していたのであろうと、私的
には疑われるのである。(2023/02/03)

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