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静岡県藤枝市寺家前遺跡で平安末金に也墨書土器(長さん)

 今回は、静岡県藤枝市の遺跡で、平安末
と見られる、山茶碗出土土器の底裏に、「
金に也」のように見える、はっきりしない、
墨書が書かれた遺物が出土しているという
紹介である。

「金(手へん主)也」が正解の可能性が高い

ようである。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
21888_1_寺家前遺跡Ⅰ古代・中~近世編.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
静岡県埋蔵文化財センター調査報告第19集
寺家前遺跡Ⅰ、西暦2012年、
中日本高速道路株式会社東京支店・
静岡県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、静岡県藤枝市中ノ合642-1。
遺物が出土したのは、西暦2000年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、本文の墨書土器の項
に、第Ⅲ-1期と書かれているように認識
するが、

発掘報告書にページが打たれていない疑い
が濃い。

アクロバットのpdfのNo.では140
枚目付近になる。なお、第Ⅲ-1期とは、
発掘報告書のアクロバット第235枚目の
pdfページによると、13世紀、平安期
末とみられているように読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
85:”出土墨書土器4”の第3段目右側
に在り、遺物番号第91番との旨、ナンバ
リングされている。
茶碗の裏面の写真のようである。

寺家前金に也.gif

 上図のように、漢字でいっけんは
”金け也”と読める模様がある。よく見る
と、「け」は、

発掘報告書に書かれているように「法」の
ようでもあるし「に」のようでもあるし、
はっきりしない。

 ここでは「に」と、仮に読んでみている。
第3字目を「師」とみて、発掘報告書では、
「金法師」または「全法師」と釈文されて
いると認識する。第3字目は、発掘報告書
では繰り返すと「師」と読んでいるようで
あるが、

もっと簡単な字で、例えば「也」だろう

というのが、本ブログ独自の見方である。
 すると、日本の将棋の駒で、玉・金・
酔象以外が、金将に成る事を、「金に也」
と書いて示しているようにも見える。
 しかし他の墨書遺物からは、将棋関連の
遺跡との示唆は無い。成立時代からみると、
12世紀なら日本にいわゆる、将棋は成立
しているので、問題は無い事は確かだが。
 その結果発掘報告書に書かれたように、
使用する人間の性格を、記載した可能性が
高いと、本ブログでも疑われ始めた。
 そこでマイクロソフトのimeパッドを
駆使して、第2字目を読むと「に」でも、
「け」でも「法」でも無く、「(手へんの
主)」ではないかという疑惑が浮上した。
そして、その考えに基づいてweb検索す
ると、

身後、金を堆くして北斗を(手へんの主:
ささ)う

という、白楽天の七言古詩『勧酒』の、8
句目がhitした。つまり平安時代末の、

「大金持ち用の杯」の意味

であると、疑えるという事である。
(2023/02/18)

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