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静岡県島田市上伊太遺跡で明治初期チャンギ仲人木駒(長さん)

今回は韓国のチャンギ駒が疑われる明治初期
成立ではないかとみられる木製遺物で、「仲」
の意味のハングル文字が2文字縦書きされて
いる疑いの有る、正体のはっきりし無い遺物
の紹介である。

隙間を埋めるための建築資材の小片のように
疑え、静岡県三島市に明治時代韓国人が居住
していた事を示している

のかもしれない。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
21893_2_上伊太遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
静岡県埋蔵文化財センター調査報告第26集
上伊太遺跡、2013年、中日本高速道路株式会社
東京支社・静岡県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、静岡県三島市伊太。遺物が出土したのは、
西暦1999年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物は第2区の遺構外
で出土したが、発掘報告書の本文第1pdf
の第42ページ付近によると、明治期の半銭
貨幣が共出土しており、幕末から明治時代に
かけて、多分だが明治初期の物品のように、
発掘報告書の記載からは私的に理解される。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
27の最上段左隅に有って、遺物番号第95
番との旨、ナンバリングされている。左右に、
本ブログの見解では左にオモテ面、右にウラ
面の写真が公開され、オモテ面にだけ、墨書
が有るように私には見える。

上伊太韓国仲人.gif

 上図のように、縦にハングル文字で、
「人ト ○丨」と2文字書いてあるように私
は見る。そして韓日辞書例えば精解韓日辞典、
金素雲(編)、高麗書林、西暦1972年の
第474ページ右カラムによると、第1字目
を「人ト」第2字目を「○丨」とする韓国語
は「仲」・「間」ないし「隙間」の意味であ
るという事である。漢字でたとえば「仲」と
書いてあるようなイメージと、考える事が出
来ると私は考える。

チャンギに「仲」という駒は無いので、遊戯
駒や別のチャンギ種の可能性は有るが、チャ
ンギの駒そのものでは無さそう

である。
 なお前記辞書によると、「人ト ○丨」は
多分だが、「さ」に似た音で読むと見られる。

中将棋をチャンギ駒にハングル文字を書いて
作ろうとした可能性は、完全否定はできない

だろう。なお、発掘報告書でも墨書有りとさ
れ、釈文不可能との旨記載されているように
認識する。
 この駒が将棋駒関連と疑われるのは発掘報
告書の第1本文pdfの第41ページ付近の
スケッチ図と説明によると、出土品の材質は
ヒノキで6ミリ前後の厚さの板で、差し渡し
は3センチ位なので、チャンギ駒の寸法に、
近いからである。繰り返すと、発掘報告書の
そのページ付近に、墨書遺物で書いてある文
字は不明との旨、記載されているように、私
には読取れる。
 ただし、駒名の意味に「人」を含んでいる
かどうか、私には謎であるし、「隙間」とい
う意味にもとれ、建築資材で隙間埋め材を、
施工者が韓国人だったので、たまたまハング
ル語で明治時代に、印として書いただけだっ
たという可能性は、否定できないだろう。
 何れにしても、チャンギの出来時期に関し
ては、西洋チェス、中国・シャンチーに比べ
て情報が少ない上に、駒が東北・北陸等の、
日本の海岸に打ち寄せる例が、知られていて、
極端に遅いかどうか謎な為、今回紹介した出
土品については、心にとめて置きたい物品で
あると、私は見ている。(2023/02/17)

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