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宮崎県宮崎市古城第2遺跡で奈良末金兎刻書土器(長さん)

 今回は、宮崎県宮崎市の日向国分僧寺
向けの瓦を生産した集落とみられている
表題遺跡で、「金兎」ないし「金鬼」と
も読めるような、高杯型刻書須恵器土器
が出土しているとの旨の紹介である。

「金鬼」だと、本ブログでは考える。

なお、発掘報告書で刻書が指摘され、
「金光」と釈文されている。説明による
と発掘報告書「まとめ」第323ページ
付近に「金光」であり、国分僧寺の正式
名称である金光明四天王護国之寺の第1~
2字目であると、解釈が記載されている。
 遺物の写真がweb上に公開されてい
て発掘報告書に載っている。発掘報告書
が奈良文化財研究所の発掘報告書データ
ベース全国遺跡報告総覧に、登録・公開
されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
22484_1_古城第2遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
宮崎市文化財調査報告書第103集
古城第2遺跡、2015年、宮崎市教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録によると遺跡の場
所は、宮崎県宮崎市佐土原町上田島。
遺物が出土したのは西暦2011年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書「まと
め」の第326ページ付近によると、
刻書土器であり、遺物番号第455とナ
ンバリングされている。そして以下紹介
するその遺物は高杯型土器であり、
8世紀後半から9世紀初の奈良時代末の
成立と考えられているように、読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第
35の上カラムの、下段中央に在り、繰
り返すと、この発掘での第455番との
旨、ナンバリングされ、杯型土器の裏面
の写真が、発掘報告書に載っているよう
である。

古城第二金兎.gif

 上図のように、第1字目がはっきり
「金」と読めるように思われるが、

3文字以上書かれた短文の、頭2文字で
は無い

ようである。「銀兎」に近い「金兎」
ないし「金鬼」と読むと、江戸時代の、
和将棋の駒名をも連想させる。私見では、

金光明四天王護国之寺へ納める鬼瓦の略

で「金鬼」と書き、瓦への「魂入れ」の
祭祀に使用した杯が疑われるが、どうで
あろうか。発掘報告書の解釈から想起さ
れるように、宗教施設へ物品を納める為
に用いるアイテムと見て、一応の矛盾は
無いように私も考える。(2023/02/10)

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