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長崎県壱岐市原の辻遺跡で弥生期竪行墨書土器(長さん)

 今回は、長崎県の壱岐島の遺跡で、土器の
内面に「立行」ないし「竪行」に見える
ような、暗い模様の入った、土器のカケラ
が出土したとの旨の話題である。
 古代の宗教施設で使われた、食材入れで
はないかと、私見される。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
132014_1_壱岐原の辻遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
壱岐原の辻遺跡、2023.7、宮本一夫編、
九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室。
 発掘報告書冒頭の例言により遺跡の場所は、
長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触、遺物が出土
したのは、西暦1953年前後のようである。
発掘報告書第1ページ付近の「地理的環境」
によると壱岐島の、南東部に在るようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第7ページ
付近の引用文献によれば、楽浪系土器とみら
れ、それは弥生時代後半期の2~3世紀頃の
成立のものと、考えられているように読み取
れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第27
の第2次調査(1953年)出土楽浪系土器・
三韓系土器その他(2)の下のカラムの、
土器の内面のように見える方の、最上段右端
に在り、遺物番号第137番との旨、
ナンバリングされている。弥生式土器と認識
されているように読み取れる。

壱岐原の辻竪行.gif
 
 上図のように、中央右寄りに、立行ないし、
欠けている部分も入れて、竪行と書かれてい
るようにも読み取れる。文字は伝来している
が、弥生時代後期後半に、仏教の「行」が、
壱岐で議論されていたかどうかは、謎だと
私は思う。
 遺物は小型であるし、発掘報告書第6ペー
ジには、西暦1997年前後に越州窯系青磁
や白磁などの初期貿易陶磁器が、この遺跡で
出土していると記載され、更には同6ページ
に記載されているように、西暦1019年の
刀伊の入寇で、地元の島分寺が抵抗した事で
著名であるから、古代の宗教施設の飲食用の
容器に11世紀頃、使用者の素行の良さから
「竪行」と墨書した土器が出土した可能性も、
全く否定は出来ないのではないかと、この模
様のケース、私は疑っている。(2023/08/03)

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