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異制庭訓往来の将棋項の書出しは葉室宰相(長さん)

南北朝時代成立の異制性庭訓往来に将棋の
記載があるのは著名である。が、今回は、
往来手紙形式で書かれた本史料の、仮想の
宛名に着目し、将棋の説明の中に現れる
君主が、後鳥羽天皇であるように取れると
の旨指摘する。将棋の入った往来文は、
「謹上葉室宰相殿」で始まるが、その
「葉室」は、藤原定家の日記に現れる、
将棋を指したとされる人物、

宰相では無いだろうが葉室仲房を連想

させるからである。
 さて異制庭訓往来の将棋の説明は、トッ
プの手紙「正月六日」付けの往来文の中央
付近に在る。
 出だしは繰り返すと、「謹上葉室宰相殿」
になっていて、架空だろうが宰相充てであ
る。葉室家で、将棋で名を残したのは、
明月記の葉室仲房が、代表的であろう。
 正月は宮中で新年祝いでゲームをして
楽しんだという事が、当然有ったとみられ、
その為、異制庭訓往来では、ゲーム類の
項目が並んだ、1月6日日付の仮想往来文
がトップになっている。
 鎌倉時代前期に中国の故事に習い、
後鳥羽天皇の周辺で各種の将棋が指された
という事が、南北朝時代には良く知られて
いたという事が記載から、かなり確かなよ
うに思われる。
 藤原定家の日記の葉室仲房に引っ掛けて、
手紙の架空のあて先が、「葉室宰相」に
なっているというのは、そのような意味で
あろう。
 逆に言うと例えば「藤原隆家に薦められ
て、後一条天皇が原始平安小将棋を指した」
という事が有るとして、それを知っていて、
後鳥羽天皇がそれに習い、側近と将棋を、
たしなんでいるという情報を、後鳥羽天皇
自身が敢えて広める事は、しなかったので
あろう。その為南北朝時代になると、将棋
伝来時11世紀初の経緯は、一般にはほぼ、
忘れ去られ、将棋を指した天皇としては、
後鳥羽天皇が、最も有名になっていたのか
もしれないと推定する事が出来そうである。
(2023/08/06)

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