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鎌倉時代72候が注目された根拠(長さん)

本ブログでは、二中歴の大将棋が68枚制で
あるにも係わらず、鎌倉横小路流改善二中歴
大将棋が96枚制、普通唱導集の大将棋が
108枚制なのは、24節気+72候で96、
年月数+24節気+72候で108であり、
一年の暦に出てくる数に則っているからだと
説明してきた。また室町期・安土桃山期に成
立年代が下ると本ブログでは見なしているが、
摩訶大大将棋/摩訶大将棋と大大将棋が
192枚制なのも、片方96枚で同じ理屈が
応用され、中将棋の92枚制も、鉄将が取り
除かれたからで、原始的には96枚制だった
としている。
 しかしながら、72候は分け方が細かすぎ、
気象変動のフレに吸収されて、実際には察知
され無いものを、無理に表現したものである
との見解が、各暦本では主流である。だから、
前記で述べた各将棋の成立期に、

72候が本当に優勢だったかどうか、根拠を
挙げないとおかしい

と考えられる。そこで今回は、暦の研究書で
72候が特に、鎌倉時代に社会に浸透してい
たとみられる根拠を探してみたので紹介する。

岡田芳朗編、朝倉書店の”暦の大事典”に、
「仮名暦にも(1100年から1499年の、
400年間では)1288年、1310年、
1323年、1344年、1345年の、
鎌倉時代~南北朝時代にかけての5回だけ、
72候が載っている」

との旨の記載が有る。
 岡田芳朗編、朝倉書店の”暦の大事典”に
関して、そのように記載されているのは、
第11章日本の暦の様式と内容の、第406
ページ右の欄である。
 この事から、特に鎌倉時代の後半から
南北朝時代にかけては、社会全体に72候が
行き渡っていたと推定できる。各種の将棋は、
上流階級の方が駒の入手の容易性から、指す
のには有利だが。鎌倉時代の中~後半で、
戦乱期では無い時代、中流以下の武家・僧侶
等でも駒の数が多く、指すのに経済的負担が
やや多くても、都市部の遊び所で指すという
状況であるとすれば、72候が行き渡ってい
れば、96枚や108枚制の将棋の普及には、
有利だったとみなせると本ブログの管理人は
推定する。なお「具注暦には72候が、何時
も記載された」といい、貴族・皇族に72候
が、いつの時代も身近だったのは自明のよう
である。
 ちなみに江戸時代には貞享の改暦期に和製
72候が流布。明治の初めにも暦に記載され
たとの事である。その他の時代は現代まで、
文献を調べないと、72候の内容は判らない
程度の普及度とみられる。
 よって鎌倉時代は平安時代後期、室町時代
に比べても、72候がより優勢だったという
根拠は以上が示しているので、96、108、
192の各枚数の将棋類が、少なくとも発生
することに、矛盾は少ないように私見される。
(2023/08/05)

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