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(コラム)カスタムペインの2枚目はモミジアオイ(長さん)

晩秋のフリージアに停まっている「暖かい秋の
アサマイチモンジ蝶」の写真の下は、2023年
7月の咲きが盛大だった、フヨウ、ハイビスカス
の仲間「赤花モミジアオイ」の花群。
 鉢植えの為、水やりの手間が特にかかり、その
努力の結果を主張しようとしましたが。この年は、
日本の気象観測史上、最も暑い7月となり、自慢
というよりは温暖化の警鐘になってしまいました。
 危険な発芽時代が短く、虫にほぼ食されないの
で余りに増えすぎ、小鉢で冬越しの2年目株は、
標準的な10号鉢でなく、8号鉢植えで我慢せざ
るを得ず、7月20日過ぎ撮影のこの時点では、
まだ咲いていませんでした。ただし8月5日頃、
2年目株も、咲き出す予定。ちなみに写真の
3年目以上株群の咲き出しは、この年は特に早く、
7月上旬から開花を開始。8月頭で日替わり花の
総花数は例年の1年分、200輪を超えました。
 花が大きいが、一日花で、同時に見える花数が
少ない為、近代日本で人気が上がらず貰い手無し。
その為庭が狭く鉢植えだと、前代未聞・未踏の水
やり栽培努力が必要となります。
 日が高くなる前に、その水やり作業をし無いと、
今年は体に暑さが特に堪えるので。写真の説明は
以上の位で、とりあえず皆さん御勘弁を。この
植物の鉢植え栽培は、しみじみしんどいです。

モミジアオイ.gif
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長崎県壱岐市原の辻遺跡で弥生期山泰墨書土器(長さん)

 以前、長崎県の壱岐島の遺跡で、土器の
内面に「立行」ないし「竪行」に見える
ような、暗い模様の入った、土器のカケラ
が出土したとの旨紹介した。が、今回は、
同じ発掘報告書に、別の年度だが弥生後期
成立に間違い無いとみられる、漢字で
「奉山泰」と読めるような模様のある、
墨書壷土器が出土していると取れる、写真が
公開されているとの旨の話題である。
 奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧内の、pdfファイル、
発掘報告書の名称、遺跡の場所、出土年、
遺物の成立年代は、順に以下の通りである。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
132014_1_壱岐原の辻遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
壱岐原の辻遺跡、2023.7、宮本一夫編、
九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室。
 発掘報告書冒頭の例言により遺跡の場所は、
長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触、遺物が出土
したのは、西暦1951年前後のようである。
発掘報告書第1ページ付近の「地理的環境」
によると壱岐島の、南東部に在るようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第86ペー
ジ付近の記載によれば、下大隈式土器とみら
れ、それは弥生時代後半期の2~3世紀頃の
成立のものと、考えられているように読み取
れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第35・
第1次調査(1951年)出土土器(2)の、
第2段目左に在り、遺物番号第276番との
旨、ナンバリングされている。繰り返すと、
弥生式土器の壷と記載されているように、
本文86ページ付近から読み取れる。

原の辻山泰.gif

 上図のように、胴の中央のほぼ中段、僅か
に右寄りに、漢字で山に見える暗い模様が在
り、その下に、ややはっきりしないが「泰」
のように見える模様がある。山の上の暗い
部分も、更にはっきりし無いが「奉」かもし
れない。「奉山泰」で奉泰山の意味であり、
中国六朝期の「道教」が、壱岐に弥生期の
後期末伝来した事を、示しているようにも見
える。
 この土器については、発掘報告書でも、
成立期に自信が有るようであり、渡来人に
よる早期の、母国漢字の使用を示している疑
いが、完全否定は出来無いのではないかと、
本ブログの管理人は、疑っている。(2023/08/04)

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