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奈良県田原本町保津宮古遺跡で古墳期奔軍墨書土器(長さん)

以前宮城県仙台市の下飯田遺跡で飛鳥期の
奉軍墨書土器を紹介した事が在る。今回は、
それよりかなり遡る古墳期成立とみられる、
奈良県の墨書遺物にも、戦闘部隊に対して
何か貢物をしたような奉軍墨書遺物が有る
との情報を得たので報告する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
1004_1_保津・宮古遺跡第1次発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書名は、以下の通りである。
田原本町文化財調査報告書第6集奈良県磯城郡田原本町
保津・宮古遺跡第1次発掘調査報告書、
2013年3月、田原本町教育委員会。
 遺跡の場所は、発掘報告書末尾の抄録に
よると奈良県磯城郡田原本町大字宮古
字寺西257~258番付近との事である。
 遺物が出土したのは、西暦1988年前
後と、かなり前である。
 遺物の成立年代は、土坑第101より
出土し、古墳時代初(4世紀)の井戸跡
であると見られるとの旨が、発掘報告書の
第30ページ付近に、記載されている。
 遺物写真が発掘報告書の写真図版第12:
”遺物1土器1。土坑(SK)第101号”
の左上に在り、坑第101号の第1番との
旨、ナンバリングされている。図の下に、
出土位置は中層だとの旨注記されているが、
成立年代と層位置は、余り関係が無いよう
である。壷のように私には見える。

保津宮古奔軍.gif

上図のように、中央にかなり大きく、軍、
その左に奉と、ぼんやりと漢字で2字書い
てあると言われれば、そのようにも見え、
奉軍と左から読めて、仙台市下飯田遺跡で
紹介した遺物土器に似たパターンのように
も思える。左軍、右軍という将棋駒種が
大局将棋に有るが、奔軍は無いし、そもそ
も、奔では無くて奉なので、将棋種の存在
を示唆しておらず、武装勢力に何か貢物を
し、そのときに入れる器のように、仙台の
例と同様見える。
 畿内で古墳時代に戦争が有って武装勢力
が存在し、住民が貢ぎ物を差し出していた
として、説明は出来るのかもしれない。
東北仙台では、「蝦夷」の反抗は飛鳥時代
だったのだろうが。畿内奈良県では、大和
王権黎明期の古墳時代前期に、似たような
状況だったのであろう。(2022/04/28)

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