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長野県佐久市深堀遺跡から9C後王将墨書土器(長さん)

今回は、以前に奔牛と疑われる平安時代成立
の墨書土器とされている物品が出土した遺跡
で同時期に、別の遺構から漢字で王将のと、
書いてあるようにも見える、土器が出土して
いるとの旨の話題である。

王の字が不明解であり、日本の将棋から来て
いるのかどうか、良くわからない。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。以前に紹介した、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されたpdf
と同一である。
682_1_深堀第235次調査.pdf
 報告書の名称は、以下の通りである。
長野県佐久市埋蔵文化財調査報告書第98集
深堀遺跡 第2・3・5次調査
長野県土地改良課・佐久市教育委員会、
(2002)。
 遺跡の場所は、発掘報告書第1ページの、
調査の概要によると、長野県佐久市大字瀬戸。
以前にも紹介したが、発掘報告書冒頭の例言
によると、調査は1998年から2001年
頃に行われたようである。
 遺物の成立年代は、以前に述べた通り、
遺跡の成立年代が古墳時代から平安時代の間
とされ幅広くて、はっきりとは特定できない。
墨書土器は出土複数。遺跡の性格も官衙であ
るといったようには、はっきり判らないよう
に発掘報告書からは読める。が少なくとも、
識字層が居していた事は、確実のようである。
 住居址地帯とされ、第29号住居跡から出
土している遺物である。複数の年代の物が
混じり、共出土遺物からも、はっきりと年代
は特定できない。が、住居跡自体は9世紀後
半の平安時代前半の頃のものであろうと、考
えられているように、発掘報告書の第188
ページ付近からは読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
102の中段カラム、第29号住居址の、
第2段目左に在り、遺物番号そのカラムの中
における5(1)との旨、ナンバリングされ
ている。土器の割れ欠けのように、私には見
える。

深堀5_1王将.gif

 上図のように、ごくはっきりしないが写真
でちょうど中央の、割れた両面を跨いで漢字
で縦に2文字有り、第1字目が主・王・正の
どれか。第2字目は、ツクリを草書にした将
のようにも見える。続けて王将なので、日本
将棋が11世紀に伝来と考えた本ブログの論、
及び茨城県を中心として分布していると見ら
れる10世紀前半の、平将門に起因する王将
墨書遺物の成立よりも早い。
 遺跡で墨書土器が複数出土しているものの、
この遺物に関しては、字が書いてあるとの旨
の発掘報告書の指摘は見当たらない。事実か
なり薄くて不明確な為、反例として説得力の
有る遺物とまでは言えないのではないかと、
私は疑う。ただし、この遺跡は漢字に見える
煤模様を持った土器が他にも有るようで、注
意が必要だと考える。(2022/09/29)

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