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佐賀県神埼市吉野ヶ里遺跡で古代奔殳墨書土器(長さん)

今回は、表題のように佐賀県神埼市付近、
吉野ヶ里町の遺跡で、古代の官製道路跡が
発掘されて墨書遺物が出土したが、その中
に「養父」と読まれているが、本ブログ管理
人には「奉鉾」の意味の「奉殳」と書かれた
器物の蓋のような形の、墨書土器が多分だが、
前世紀に出土していたとの旨の紹介である。
 武器を、こっそり古代にこの遺跡の場所で、
製造して、朝廷に納めていたようにも私見さ
れる。
 遺物の写真がweb上に公開されいて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
138960_1_吉野ヶ里遺跡古代編2.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
佐賀県文化財調査報告書第234集:吉野ヶ里
遺跡、西暦2024年3月、佐賀県。
 発掘報告書冒頭、例言により遺跡の場所は、
佐賀県神埼市大字志波屋・鶴・田道ヶ里、
吉野ヶ里町大字田手・大曲。発掘報告書第2
ページ「調査の経過」によると、遺物が出土し
たのは西暦1987年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は遺物は志波屋四の坪地区
で出土したが、発掘報告書第121ページ
付近の記載により、7世紀前半から9世紀
初頭にかけての、飛鳥時代後期・奈良時代・
平安時代前期の遺構からの出土であり、
その頃の成立であると見られているように私
には読取れる。特に遺物は、SK1115
土坑から出土し、8世紀後半の奈良時代の
ものと考えられているらしい。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第36
の上から3段目左に在り、遺物番号第667
番との旨、ナンバリングされている。その
写真の上の、写真図版第36の上から3段目
左に、全体の形態の写真が有り、器物の蓋の
形の土器のように、私には見える。

吉野が里奔丈.gif

 上図のように、養父とも確かに読める文字
が有る。発掘報告書によると、場所の名称で
は無いかとの事である。が、「奉殳(奉鉾)」
のようでもあると私見する。特に第1字目は、
奉の異字で、草カンムリが付いているのかも
しれない。上図画像では草カンムリは微かだ
が、「菶」という事であろうか。
 奈良時代に朝廷に献上する「鉾」を入れた
器物に使う、蓋なのではないかと、形から私
は疑う。古代の遺跡の中に、こっそり武器を
製造する、識字可能な職人の里が存在したの
ではないのだろうか。なお、墨書遺物は、長
期間の発掘により、この遺跡で複数出土して
いるとの事である。(2024/04/14)

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