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京都市内東寺東側遺跡群455番木片中将棋駒(長さん)

以前紹介した京都市市役所内文化市民局
による、西暦1980年代作業の表題の、
京都市南区東寺東側遺跡群から出土した、
江戸時代初期の年号の入った木製品共出
土の、将棋駒に関して、

本ブログの紹介に、重大な抜けが有った
ので、お詫びし追加報告

する。
以前の紹介では合計で将棋駒が7枚、出
土しているとの事だったが、

本当は8枚であり、成横行銅将が抜けて
いた。

元文献は、前に紹介したが公益財団法人
京都市埋蔵文化財研究所が監修している
と見られる、”平成30年度 京都市
埋蔵文化財出土遺物文化財指定準備業務
報告書『御土居跡(西九条周辺)出土品』”
と題した、発掘報告書で、ある。
 本ブログではその後、将棋駒の絵を描
いた、泥メンコも近くで出土したとの旨
を紹介した。
 この報告書はweb上に有るPDFファ
イルであり、奈良文化財研究所の発掘報
告書のデータベース全国遺跡報告総覧の
中に有る模様。
現在も公開されていて、ファイルの名称
は、以下の通りである。
63689_1_平成30年度京都市埋蔵文化財出土遺物文化財指定準備業務報告書.pdf
将棋駒は全部写真で載っている。
 問題は前に6枚との旨述べた、

48ページの写真

である。前には、写真に有るように、
輪郭からは近世の将棋駒のように見え、
王将が一枚、金将が2枚、成り一文字金
銀将が一枚、成り一文字金桂馬が一枚、
オモテ面不明の成り一文字金駒が一枚で
あると述べた。

京都西九条駒3.gif

 問題は上の写真で、木片のように私が
見ていた

455番の遺物が、中将棋の駒と発掘者
に判断されていた

という点である。

成りが横行の銅将駒の切れ端

とされているようだ。以上が本ブログ、
私の報告書本文の読み取り時の、

重大な単純読み落とし

の内容である。
 時代は誤差の範囲で天正年間程度の可
能性も、あるのではないかと疑われるが、
発表では、共出土物により江戸時代初期
のものとの事のようである。
 公開されているのに、見落としていた
のは、私の単純ミスだ。京都市に対し、
深くお詫びしておきたい。
 以下単なる私の”利き鼻ヤマ勘”だが、
もうこのほかには、発掘されているのに
公開されていない将棋駒は、京都市、京
都駅近傍に関しては、余り無いのか
もしれない。それにしても

この江戸時代の中将棋駒も相当な貴重品

だ。(2020/07/19)

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