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埼玉県加須市栗橋宿西本陣跡遺跡で江戸後期角行(長さん)

利根川の河川工事に伴う、茨城県古河市古河城
にもほど近い、表題遺跡で、西暦2018年
ないし、その少し前、19世紀初成立とされる、
成り龍馬角行駒が、発掘されていたようである。
埼玉県では、恐らく同じ加須市の騎西城の将棋
駒に次ぐ、2例目の出土将棋駒だと見られる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所、発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
可視光で撮影した写真が載っているpdf
ファイル名は、以下の通りである。
132724_13_栗橋宿西本陣跡Ⅰ.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第479集
栗橋宿西本陣跡Ⅰ、2023年、国土交通省
関東地方整備局、公益財団法人埼玉県埋蔵文化財
調査事業団。
 発掘報告書第3pdfの末尾の抄録により遺跡
の場所は埼玉県久喜市栗橋北二丁目3422-2。
遺物の成立年代は、抄録の要約等により19世紀
前半とみられているように読み取れるようである。
蛇足だが、発掘作業を本ブログの管理人は下河辺
の荘全体の将棋史料を、散策により探訪しようと
して、発掘作業が行われた最中に、ここを通過し、
作業の存在を本ブログで紹介している。なんと本
当に、将棋史料はその頃、私の期待通り出土して
いたようだ。
 さて遺物の写真は前記第13pdf、可視光の
写真の部の写真図版第254の最上段右端に在り、
遺物に”第168号土坑、スケッチ図第307の
第37番”との旨ナンバリングされているようで
ある。縦2.4センチ、幅2.2センチ、厚み
0.8センチとされていて、やや小ぶりの角行駒
のようにも私には見える。

栗橋宿西本角行.gif

 第14pdfには、赤外線写真も在り、赤外線
写真の部の図版第305の最下段右端にあり、
文字資料第57番との番号も付与されている。

栗橋宿西本赤外.gif

 こちらの方が鮮明で、成りの第1字目は私には、
「龍」の字のように見えて来る。
 天保年間の頃、宿場で普通に日本将棋が指され
ていた事を、示しているのであろう。
 なお遺跡からは石製のサイコロが、複数共出土
しているようである。旅人等の慰安用の遊戯施設
が、陣屋に付設されていた事を示しているのであ
ろう。なお宿場に出入りの業者名が複数と、駐在
する役人の人物名ではないかと本ブログの管理人
が疑う例として、第14pdfの第313図に、
「長谷川伝兵衛」等の名前を記載した、墨書遺物
が有るとの事のようである。
 なお、近接した茨城県古河市付近に「長谷町」
という地名が、今でもあるようだ。
 発掘報告書にも記載されているように、土手の
存在により景色がすっかり変わってしまったが。
かつてはこの一帯に町場が有ったという、要約の
説明に、私も充分納得出来る。(2023/12/09)

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