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埼玉県加須市栗橋北2丁目陣屋跡で銀将他1江戸期将棋駒(長さん)

以前同じ、埼玉県加須市栗橋北の西陣屋跡から、
江戸時代後期18世紀初成立とされる成り龍馬
角行が出土した、恐らく数十メートル以内の地
点で、一連の同じシリーズの発掘で、江戸期の
成金銀将と、駒名が消えた将棋駒型の木片が
1枚ずつ、西陣屋跡遺跡の発掘の翌年頃の西暦
2019年前後に発掘されていたとの事である。
 場所が至近のため同一遺跡内の時期バラバラ
の将棋駒史料の出土と見て良いように私見する。
つまり、この遺跡から出土した将棋の

出土駒は1枚では無くて、3枚有るようだ。

 遺物の写真が、web上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
132733_2_北2丁目陣屋跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第468集
北2丁目陣屋跡、2021年、国土交通省
関東地方整備局・公益財団法人埼玉県埋蔵文化財
調査事業団。
 発掘報告書末尾(第2pdf)の抄録により
遺跡の場所は埼玉県加須市栗橋北2丁目
3409の2他。遺物が出土したのは、
西暦2019年前後の事のようである。
なお、場所は現在の八坂神社の境内で、成立時
代の江戸末期の当時には、神社として成立済で
牛頭天王社だったという事である。前回紹介し
た栗橋宿西本陣跡に、道なり北東地点で極近く、
私が訪れた際は、確か普通の小ぶりな神社が、
あるだけであり、発掘はまだだったと記憶する。
 遺物の成立年代は、同じく抄録によると、
幕末西暦1860~1870年代の陶磁器製品
が主体であり、その頃の史料と考えられている
ようである。
 遺物の写真は発掘報告書第2pdf写真図版
の部の写真図版第22の、第2段目中央に、成
金銀将駒の写真が、その右に駒名が消えてしまっ
たような将棋駒遺物が在り、前者には”7遺物
包含層(第74図第126番)、後者には”8
遺物包含層(第74図第127番)との旨、
ナンバリングされている。
 現代の将棋駒と字体が古いが、形態は同じで
ある。

北二丁目陣屋銀将.gif

上図の遺物は、銀の字が小さいが、オモテが
銀将、裏が一文字金であろうと私もみる。

北二丁目陣屋無地.gif

 私見だが、この将棋駒名が消えているとされ
る方も、別の成金銀将のようにも私には見える。
 牛頭天王社信仰は栃木県小山市から、埼玉県
加須市にかけて現在でも残っており、ありきた
りで、おあつらい向きの空き地で幕末にも適宜、
日本将棋を指して、付近の住民等が指して遊ん
だという情報以上は、無いと私は思う。
 役人も町人も将棋好きは、暇なときには三々
五々に神社に集まって、将棋を指していたとい
う事なのではないかと疑われる。(2023/12/16)

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