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大将棋絹篩著者は「たいしょうぎ」か「だいしょうぎ」(長さん)

熟語「泰将棋」が成立した経緯の記載として有名
な大将棋(大象棋)絹篩の泰将棋の一節は同時に、
その著者が「大将棋」の読みを「たいしょうぎ」
ないし「だいしょうぎ」のどちらかであると認識
している事が、泰将棋成立の経緯自身の記載から
判るのに、本ブログの管理人はさいきんようやく
気が付いた。大将棋絹篩の原書は確認してい無い
が、内容は古事類宛30の第140ページ付近に
転載されている。
 その一節には、本ブログ管理人によると、要約
すれば、以下のように口語で表現出来る内容が、
前半の書き出し部分に、あるように見える。
 以下引用。
 泰将棋は元々は大将棋と書いた。大将棋の大の
字は、25升目354枚制の将棋では、「たいしょ
うぎ」と、大を清音で私は読む。大の字は
濁音であれば「大小」の「だい」である。が、
清音で読むと、無上のイメージを持てるので、こ
うしている。だから泰将棋とも書ける。つまり
15升目130枚制の大将棋とは紛らわしいので、
泰の字の音だけを借りる事にしたという訳である。
(以下、続く。)
 以上の内容から、

大将棋絹篩の著者は、13~15升目制大将棋の
「大」は「たい」か「だい」であると思っている

事が判る。男重宝記の著者のように「おお」派も
江戸期には存在したのだろうが。大将棋系の専門
書とみられる「大象棋絹篩」の著者の読みから
見て、「たいしょうぎ」という読みも、江戸時代
には、一程度通っていたとしか言いようも無いよ
うに私には見える。なお以前に、本ブログで注記
した事があるが、大将棋絹篩の著者は鷄峰戊申で、
将棋六種之図式の著者と同一人物であると、私の
ケースは、また聞きに認識している。

「たいしょうぎ」でも、江戸時代には良かった

のだろう。泰将棋の塾語が普及したから、「たい
しょうぎ」の言い方が、後に廃れたのかもしれな
いと私は考えるようになった。
 それにしても泰将棋の説明のところを、泰将棋
に関する内容しか、特に書いて無いと考えていた
自分の国語力の無さには、今回は呆れてしまった。
(2023/12/24)

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