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「秦人大山」木簡は平城京から出土の業者名荷札(長さん)

以前、「藤原京から出土の若狭湾の塩田からの
祭祀用木札」かと本ブログで紹介した表題の、
文字史料は、奈良市平城京の遺構:溝第820
番にて出土した、租庸調類の贅を分類するため
に、奈良時代に平城京役人が整理用に作成した
札であるとの旨の解説が、成書に在るのを最近
見つけた。成書名は、以下の通り。
「平城京1300年『全検証』」、渡辺晃宏、
柏書房、西暦2010年。
 その第284ページ付近に、その旨の解説が
ある。表に「若狭国遠敷郡青里御贅『多比鮓』
壱塙」等と書いてあるとの事である。

祭祀用の可能性は、ほぼ無い

ようだ。
 以上、訂正する。
 オモテ書きが達筆な為、若狭湾の業者が作成
し、出荷するときに物品に添付した荷札とは、
考え難いということのようである。納めた者の
恐らくだが業者名を裏に、役人が書いたと、
渡辺晃宏氏が解釈しているように、私には読取
れる。
 役人が「贅にしては、調の札のように丁寧書
きなのは、若狭国に奈良政権が塩の産地として、
敬意を表していた。つまり大量の塩の『オマケ』
として、『多比鮓』を送ってきたからである」
との旨、同氏は見ているらしい。
『泰人大山』を奈良時代、塩生産業者の屋号と
して、そのイメージで奈良政権が重視し、追従
してそう呼んで、他の業者と区別していたとい
う意味かもしれ無い。「秦人」の単語の持つイ
メージは、平安時代に比べて、奈良時代の方が、
更に重かったのかもしれないと、私は疑う。
(2023/12/10)

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