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三重県桑名市志知南浦遺跡で戦国蛮奔鬼墨書土器(長さん)

今回は、戦国期の三重県桑名市の中世武家、
藤原実重の『作善日記』の「しちのみとう」
(志知の御堂)に関連する寺院跡周辺と
みられている志知南浦遺跡で、「蛮鬼」と、
戦国武者用皿を連想される土器に墨書が書
かれているような遺物が出土していると、
疑われる例の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
19700_1_志知南浦遺跡発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
三重県埋蔵文化財調査報告288
志知南浦遺跡発掘調査報告、2008年3月、
三重県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、三重県桑名市志知。遺物が出土した
のは西暦2006年前後の事のようである。
 遺物は図版写真で1497、本文では、
1588番とナンバリングされ、同一物の
ようであり、その成立年代は、発掘報告書
第225ページ付近の遺物観察表に「遺物
番号第1588は尾張式の陶器」との旨が
記載されており、写真図版遺物第1497
番はこれと同一物であって、中世の遺物で
あるとみられているように読取れる。更に、
遺物観察表によると、墨書遺物と見られて
いるが、書いてある内容は、不明と見たよ
うである。発掘報告書第265ページ付近
の記載によると、藤原実重の居宅が有り、
戦国時代に下ると関連寺院が、周辺に建っ
ていたのではないかとの事である。以下は、
戦国期16世紀成立と仮定して、議論する。
 遺物第1497番は、写真図版第72の、
最上段左上に有る。皿型の器の類の裏面の
写真のように、私には見える。

志知南蛮鬼.gif

 上図のように、第2字目は「鬼」のよう
に私見するが、第1字目は上部が擦れてい
て、余りはっきりし無い。マイクロソフト
のimeパッドでチェックすると、下部の
中央に縦線が有る為「蛮」でも矛盾は無い
ようである。ここでは仮に「蛮鬼」と読ん
でみる。

「蛮鬼」は「奔鬼」や「蛮狸」を連想させ、
大大将棋の成立を匂わせる

ようである。戦国時代末から安土桃山時代
にかけての、上流階級の使う陶器で間違い
無ければ、将棋文化を持つ階層の手による
もの、つまり戦国時代の僧侶や武家の筆か
もしれない。コワモテする兵の使用物の、
意味かもしれない。
 京都と繋がりの有る、藤原氏系の武家の
住まいが近かったという発掘報告書の説明
と矛盾の少ない遺物ではないかと私見する。
(2023/03/01)

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