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沖縄県ナガンダカリヤマ古墓群で戦前日本将棋茶碗(長さん)

今回は第二次多選末頃成立の飯を盛る茶碗
に、ハンコ型印刷物の日本将棋絵柄のつい
ている瀬戸物が、沖縄県那覇市首里で出土
していたという紹介である。
 沖縄ではシャンジーだけでなく

大戦末期には、日本将棋は知られていたと
いう確定的証拠の発見

と見られる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されていてる。
 pdfファイル名は以下の通りである。
19186_1_ナカンダカリヤマの古墓群.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第26集
ナカンダカリヤマの古墓群、2005年3月、
沖縄県立埋蔵文化財センター。
 発掘報告書冒頭の抄録によると遺跡の場
所は、沖縄県那覇市首里金城町。遺物が出
土したのは、西暦2002年前後の事のよ
うである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第21ペー
ジ付近の記載によると、遺物は第1号墓跡
前の前庭型地形の地点から出土し、第49
ページの記載によると、絵柄が近代のハン
コ型印刷法を用いるもので、明治時代以降、
沖縄戦末期まで成立の物品と、読取れるよ
うに思われる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
20:”第1号墓出土遺物(3)”の、
右下隅に在り、遺物番号第118番との旨、
ナンバリングされていて皿状の、絵柄は略
印刷したように見える瀬戸物食器とみられ
る物品の出土遺物である。



 上図のように、明快に「王将」「飛車」
「金将」「と金」「歩|」と書かれた、
将棋の駒が絵柄として描かれている。
 よく知られているように、沖縄県では、
第2次世界大戦前までは、沖縄シャンジー
が比較的盛んであり、日本将棋は日常語に
残る程度までは遊ばれてさえ、いなかった
とみられている。
 しかし、少なくとも第二次大戦の戦争末
期までには「ゲームを知っているので、絵
柄が、日本将棋の駒を印刷した瀬戸物を、
敢えて購入する」という者が沖縄県那覇市
に居るという程度までは、日本将棋自体が
知られていたという動かない証拠の物品の、
出土なのではないかと私には疑われる。
 本土デザイナーが、たまたまだったのか
もしれないが。歩兵駒の兵だけを省略する
書体で描いてくれているので。少なくとも
昭和初期程度の作であると判るようである。
以上の事からありきたりの物品であるもの
の、出土地点が貴重な遺物だと私には、遊
戯史上、とてもありがたい情報であるよう
に思える。(2023/03/05)

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