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大阪府大東市中垣内遺跡で弥生時代泰山墨書土器(長さん)

今回は、大阪府大東市で集落からもやや
外れた弥生時代耕作地とみられる場所の
発掘で、奉山と読める土器の破片が出土
し、大阪付近では弥生時代、ある程度に
字の書ける人口が、そうとうに多かった
という事実を物語っていると判る、遺物
の発掘例の紹介である。
 遺物の写真がweb上公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
17438_1_中垣内遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の名称は以下のとおりである。
大東市埋蔵文化財調査報告第11集
中垣内遺跡発掘報告調査書、西暦1997年3月、
大東市教育委員会。
発掘報告書冒頭例言によると遺跡の場所
は、大阪府大東市寺川1丁目。
遺物が出土したのは同じく例言によると、
西暦1994年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物はA区の第5
遺構面から出土したが、発掘報告書第
39ページの記載によると、漠然と弥生
土器の破片のようであり、正確な成立年
代は、試料が小さくよくわからないとの
旨読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
25の最下段に在り、第26土溝(SD)
出土土器と付記され、遺物番号第44番
との旨、ナンバリングされている。

中垣内泰山.gif

 上図のように、小さくではあるものの、
左下隅に漢字で「奉山」と読めるような
模様が有る。
 大東市付近に高い山は無いとみられる
が、鉱物探査を目的に中国から漢王朝期
に渡来した外国人が大勢大阪府には居て、
識字出来たので、捜索をする日本の山岳
部を漠然と奉じて、写真のような墨書を、
弥生時代おそらく中期に、大量に残した
結果、集落から離れたところの破片土器
としても、前記のような墨書遺物が見出
されるのであろうと私見する。九州北部
と共に、大阪府付近へは、瀬戸内海を通っ
て弥生時代の中期以降、漢王朝期の中国
人等が盛んに行き来していたのであろう。
(2023/03/20)

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