SSブログ

兵庫県豊岡市袴狭遺跡で8C末奔戌墨書土器2(長さん)

 今回は、前回に引き続いて表題の遺跡で出土
した「秦」「泰」墨書土器の別の例を紹介し、
以前紹介した、泰戌、秦浄土器計7個と合わせ
て、墨書土器の性格、使用者名かどうかを議論
する。
 遺物の写真はweb上、奈良文化財研究所
発掘報告書データベース全国遺跡報告総覧に
紹介されていてpdfファイル名、発掘報告書
の名称、遺跡の場所、遺物の出土した時期は、
順に、以下の通りと言う事であった。
18828_4_出石郡出石町袴狭遺跡.pdf
発掘報告書の表題は次の通りである。
兵庫県文化財調査報告書第197冊袴狭遺跡、
西暦2000年3月、兵庫県教育委員会。
 発掘報告書冒頭例言によると遺跡の場所
は、兵庫県豊岡市(出石郡出石町:当時)
袴狭字谷外、字内田、字下坂、字衛下、
字国分寺、字大坪、字深田、字保石原。
遺物が出土したのは、第1本文pdf冒頭
「調査の経過」によると、入れ気1989
年~1995年。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdfの第195ページ~198ページ
付近の記載によると場所は出石郡衙付近。
奈良時代より平安時代初の墨書土器である
と解釈されているように、私には読取れた。
 以前に引き続いて第8番目は第4pdfの
写真図版第100:”墨書土器 内田地区⑤”
の、最上段左上に有って、杯土器の裏底の
ようであり、明らかに墨書で漢字で、”本存”
のように、私には見える黒い字が書いてある。
遺物番号は第109番とある。

袴狭奔存.gif

 ひとまず草書体のように見えるので「秦存」
という人名と解釈しておく。
 第9番目は第4pdfの写真図版第100:
”墨書土器 内田地区⑤”の、第2段中央に有
って、やはり土器の裏底のようであり、明らか
に墨書で漢字で”秦安”のように、私には見え
る黒い字が書いてある。遺物番号は115番と
ナンバリングされている。

袴狭奔安.gif

 泰が苗字であるとして、名前が一文字となっ
たと考えても、今のところ矛盾は無いので人名
としておく。
 第10番目は第4pdfの写真図版第101:
”墨書土器 内田地区⑥”の、最上段左に有っ
て、やはり土器の裏底のようであり、明らかに
墨書で漢字で”秦女”のように、私には見え
る黒い字が書いてある。遺物番号は116番と
ナンバリングされている。

袴狭奔女.gif

豪族、秦一族の娘用の器であるとの意味のよう
にも私には見える。
 更に第11番目は第4pdfの写真図版第
101:”墨書土器 内田地区⑥”の、下段左
に有って、やはり土器の裏底のようであり、こ
れには墨書で漢字で”戌”のように、私には見
える黒い字が書いてあるが、第1字目に”泰”
が有ったように見える。遺物番号は118番と
ナンバリングされている。

袴狭奔戌2.gif

 祭祀用が確かに自然な「泰狗」墨書土器が、
以前に紹介した物品と合わせ、2個以上有るよ
うである。が2個共に、複数個体飼われていた
大型犬用の食器でも、強いて解釈すれば、通り
そうである。
 その他、本ブログで既に紹介した墨書遺物の
他一字だけしか無く、内容の判らない墨書土器
が他にもあるが、大体以上11個が、意味の明
快な物品として私には目に付く。

書いてある字が「奉」では無く「秦」か「泰」
と明確に分かる

という点で、内容がいかにも独特な墨書である。
 2字目が祭祀用として意味が取りにくい物も
中には有り、第1字目が秦のケースがかなり有
る為、

全体として遺物は、実際に食器等として使用

され、その使用者名が書かれているのではなか
ろうか。特に「秦女」が祭祀用の器物に書かれ
ているというのでは、意味が良くわからないよ
うな気が、私にはする。
 狛犬を祭っていた可能性、地鎮で西北西の戌
の方向に、その土器を埋めるつもりであった可
能性も否定できないが。大型犬を、大家族で複
数飼っていて、可愛がっていた可能性も、ゼロ
とまでは行かないのではないかと私見する。繰
り返すと祭祀用にしては、「秦」という文字の
遺物が、よそと比較したとき、必要以上に多い
と私は疑問視している。(2023/03/09)
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー