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香川県善通寺市龍川五条遺跡で弥生期山泰墨書土器(長さん)

今回は、以下紹介する遺跡と発掘報告書自
体は以前に紹介しており、平成元年頃に、
香川県で出土した弥生時代とされる土器の
甕の破片に、表題のように道教の山岳崇拝
の意味である、山奉と漢字で書いてあるよ
うに見える遺物の話題である。

以前には「棋+偶然模様」「王+偶然模様」
であり「棋象」、「王将」とは読めないと、
本ブログでは結論した、弥生時代前期後半
の遺物2個を、共出土品として

を紹介している。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っており、発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
以前に紹介しており、pdfファイル名、
発掘報告書名、遺跡の場所、遺物の出土年、
そして遺物の成立年代も最後はたまたまだ
が、ほぼ前に話題にした遺物といっしょで
ある。すなわち、
pdfファイル名:
10465_5_龍川五条遺跡I.pdf
発掘報告書の表題:
龍川五条遺跡Ⅰ第1分冊、1996.12、
番川県教育委員会・財団法人香川県埋蔵文化財
調査センター・日本道路公団。
 発掘報告書のpdfのうち、1と2が
本文であり、3の途中までが遺物観察表、
3の後半から4の途中までが遺構の写真、
4の後半から5、6、7、8が遺物の写真
となっているようである。今回紹介する
遺物は、第5pdfに、写真がある。前回
の2個はたまたま別の第6pdfに、写真
が在った。
そして今回紹介の遺物の説明は本文pdf
の第1pdfに記載されている。
遺物が発掘された遺跡の場所:
冒頭例言により香川県善通寺市原田町。
遺物が出土した年:
同じく例言によると、西暦1989年。
遺物の成立年代について:
遺物の成立年代は、発掘報告書第107ペー
ジ付近の記載によると、遺物は第50内環壕
と名づけられた堀り跡から出土し、形状から
弥生時代前期~中の初めころの遺物とみられ、
土器破片だが、元は甕型土器と見られている
ようである。以前紹介した「棋象」「王将」
墨書が疑われた遺物が出土した、第3~4河
川跡等の近くのページ説明があり、ほぼ同一
年代の物品と、みられているように、私には
読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版のう
ち、第5写真図版pdfの写真図版第82:
”(1)SD50出土遺物(12)”の、
下のカラムの上段左に在り、遺物番号第
633番との旨、ナンバリングされ、小さな
破片だが、繰り返して言うと「甕型土器だっ
た」と言われればそのように見える物である。

龍川五条山泰.gif

 上図のように、中央やや右に寄って縦に2
文字「山奉」と書かれているように私見する。

弥生時代中期頃の、漢王朝時代の中国人の、
道教に基づく山岳信仰の祭祀用

であると私は考える。他、前に紹介した墨書
が疑われる出土遺物の文字、「棋」「王」と
組み合わせると、渡来人の頭目の名が「棋」
等であり、また王+(何がし)墨書土器は
「王将」ではなくて「王奉」と書かれていた
疑いがあり、以前紹介した、青森県青森市の
上野尻遺跡と、成立時期まで含めてほぼ同一
パターンの香川県の遺跡の遺物ということに
なる、疑いが濃いと私見する。「将棋」の
「棋」だと考え遊戯と関連するのではないか
と、以前には私は思った第1遺物の第1字目
は、実は人名だった可能性も、浮上したよう
に私は疑う。(2023/03/18)

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