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茨城県取手市甚五郎崎遺跡で古代山泰墨書土器(長さん)

今回は、表題の茨城県取手市の遺跡で、
平安時代前期成立と見られる皿型の土器に、
漢字で泰山の反対、山泰に似た「山本」と
読める墨書遺物が出土したとの旨の紹介で
ある。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
18678_1_取手都市計画事業下高井特定土地
区画整理事業地内埋蔵文化財調査.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
茨城児教育財団文化財調査報告第107集
甚五郎崎遺跡・下高井向原Ⅰ遺跡・下高井向原Ⅱ遺跡、
西暦1996年3月、
住宅・都市整備公団首都圏都市開発本部・
財団法人茨城県教育財団。
 遺物はこのうち最初の、甚五郎崎遺跡で
出土したようである。
 発掘報告書冒頭例言内の表によると、
遺跡の場所は、茨城県取手市大字下高井字
甚五郎崎1626番地。
遺物が出土したのは西暦1994年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、例言の表にも「墨書
遺物は平安時代の成立である」との旨記載
があるが、発掘報告書第25ページ付近の
記載によると、遺物は第3号住居跡で出土
したが、出土した遺物の形から9世紀後半、
平安時代前期に成立していると見られてい
ると、私には読み取れる。
 遺物の写真は、写真図版第8の中段第2
段目の左側に在って、第3住居跡(SI3)
の第4番との旨、ナンバリングされている。
皿のような形の土器の、底面裏側のように
私には見える。

甚五郎崎山泰.gif

 上図のように、はっきりと墨書土器であ
ると判り、中央やや左に縦に漢字で「山本」
と書かれていて、「本」は「十」の軸が、
上部とズレていて、「大と十が切れた夲」
であり、奉に近い方の漢字である。「山奉」
の意味であり、筑波山を奉じているのであ
ろう。発掘報告書第123ページの記載を
見ても、住居跡と郡衙等官営の施設等とは、
直接的な繋がりは無いように読み取れる。
普通の律令集落のようである。
 ほかに庄屋の「庄」。袋の「衣」を中央
に入れる別字、「三」等の漢字の、ほぼ
同時期成立とみられる墨書遺物が付近から
出土したという事である。明確では無いが、
今述べたその他の墨書の文字は、遺物土器
類の何らかの用途分類の為の、記号のよう
に私には見える。(2023/03/13)
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