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兵庫県八鹿町夕垣古墳群で古墳期逸行墨書土器(長さん)

 今回は、兵庫県八鹿町の古墳で、古墳
の副葬品の土器に「逸行」と、摩訶大大/
摩訶大将棋等の駒名である鉤行を連想さ
せるような文字のある出土遺物の紹介で
ある。

意味を解釈するのは、かなり困難である。

 遺物の写真がweb上公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
18740_1_夕垣古墳群・夕垣遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
夕垣古墳群・夕垣遺跡発掘調査報告書、
西暦1983年、兵庫県教育委員会。
 発掘報告冒頭の例言により遺跡の場所
は、兵庫県養父郡八鹿町下網場字夕垣。
遺物が出土したのは西暦1981年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘調査自体がこ
の回は、古墳全体のうち9号墳について
のみ行われ、発掘報告書第44ページ付
近の記載によれば、9号墳は6世紀末~
7世紀初頭に使用されたと、解釈されて
いるように、私には読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
30:”夕垣9号墳墓・構内出土遣物
(須恵器)”の第2段目右にあり、遺物
番号第6番との旨、ナンバリングされて
いる。台付き杯型土器のように、私には
見える。

夕垣9号墳逸行.gif

 上図のように、第2字目の右に、淡い
汚れとみられる模様がある上に、第1字
目の、シンニョウのツクリが、免のよう
に見えるが、はっきりしないものの、強
いて読めば、表題に示したように「逸行」
とも読めるような、暗い模様がある。
 意味は、将棋類の「鉤行」を更に、相
手を倒すまで、何回でも直角進路変更出
来るように、拡張した駒名のようにも見
える。が、埋葬者の性格を示すとしても、
飛鳥時代に近い後期古墳時代に兵庫県で、
このような文字が識字層によって、何の
為に葬送の際であろうが、書かれたのか
は、一見して謎である。
 飛鳥時代早期の、活動・行動勝手御免
の上流社会の者が、この遺跡のこの墳墓
に埋葬されているという、あるいは意味
なのであろうか。それとも、私には由来
が個人的に分からないが、現代の中国の
旅行事業団体に、日本旅行を専門にする
情報ネットワークを運営する者として
「逸行」がweb上に最近からだろうが
知られており、「中国から日本へ行く」
という意味が、古くから中国では有った
事に、現代ロゴが由来していているのか
もしれない。古墳時代末期の当時から、
その意味が中国では有ったという、故事
でも存在するのであろうか。
 とすれば、埋葬された仲間に対して、
副葬品を作成して字を書いたのは、たま
たま隋王朝期の、日本渡来中国人等だっ
たのかもしれないと、疑えるはするので
あろう。(2023/03/12)

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