SSブログ

島根県中尾H遺跡で6C山泰刻書土器(長さん)

 今回は、島根県大田市の遺跡で土器に
刻書で、山奉または上奉と記されている
ように見える、出土物が有るとの旨の
紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
19083_2_旭山遺跡・中尾H遺跡3区.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
旭山遺跡・中尾H遺跡(3区)、西暦2016年3月、
国土交通省松江国道事務所・島根県教育委員会。
 遺物はこのうち後者、中尾H遺跡
(3区)で出土したようである。
発掘報告書の例言等によれば遺跡の
場所は島根県大田市久手町・刺鹿。
遺物が出土したのは西暦2013年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第2
図版pdfの末尾の抄録に「中尾H遺跡
は、元々縄文時代の遺跡であるが、第3
区では、河川流路跡が在り、遺物が複数
発掘されたが、古墳時代後期6世紀の
成立である」との旨書かれているよう読
取れる。発掘報告書第1本文pdfの、
第52ページ付近にも「杯は古墳時代の
後期の成立」と解釈されているように、
私には読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書第2写真図版
pdfの写真図版第42の第2段目左に
在り、遺物番号で第47スケッチ図の第
4番との旨、ナンバリングされている。
徳利のような形状の土器のカケラの側面
に見えたが、発掘報告書によると杯の裏
底の写真のようである。

中尾H山泰.gif

 上図のように、写真の中央やや下に、
明快だが一部がカスレたような刻書が在
り、縦に「山奉」か「上奉」と記されて
いるようにも見える。仮に「上奉」なら、
「かみほう」と読むべきかもしれない。
 6Cに、現代でも神社で見られる、山
を奉じる祭祀に使われる神酒入れの盃に、
山奉と記したようにも、取れるのではな
いかと私見する。古墳時代後期の6世紀
には、刻書も存在したのではないのだろ
うか。(2023/03/06) 
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー