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奈良県御所市名柄遺跡で古墳~古代泰山墨書土器(長さん)

 今回は、これまで何度も紹介した大局
将棋の駒名の泰山に似た、奉山墨書土器
のようであるが、古墳時代から平安末の、
奈良県の遺跡から、

「奉(改行)山一山」と読めるような、
不思議な字模様の土器が、同じ発掘現場
で2個出土しているようだ

との旨の紹介である。
 池に、奈良県の山が映った情景の表現
かもしれない。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
19570_4_名柄遺跡第6次発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
御所市文化財報告書第41集名柄遺跡
第6次発掘報告、西暦2012年3月、
御所市教育委員会。
 発掘報告書第4pdf末尾の抄録による
と遺跡の場所は、奈良県御所市大字豊田。
遺物が出土したのは、西暦2011年前後
のようである。
 遺物の成立年代は、1個目が発掘報告書
第2本文pdfの第30ページ付近の記載
によると、第100号溝で出土したが、こ
ちらは共遺物の形から、12世紀中~12
世紀後半の平安時代末の遺物とみられてい
るように発掘報告書からは読取れる。
 2個目が第3住居跡より出土したが、発
掘報告書第3本文pdfの第34ページ付
近の記載によると、こちらはかなり早く、
古墳時代初期の遺物であるように読取れる。
 なお遺跡自体は、各時代を通じて、まば
らな集落ではないかとの事である。近代に
なり山麓部に、溜池が作られたとの事であ
る。発掘報告書の冒頭に、西に葛城山や、
金剛山が見える地形との説明が有る。
 遺物の写真は1個目が、第4写真pdf
の写真図版第6の第4段目右側に在り、
スケッチ図第18の第8番土器との旨、
ナンバリングされている。椀のような形の
土器を側面から見た写真のように、私には
見える。

名柄泰山1.gif

 上図のように、かなり黒く写真の中央、
やや左、破片を跨いで大きく「泰」と書か
れ、その左側に、かなり濃くゴシックで、
「山一巾」と読めるような、黒い模様が、
はっきりと有る。
 上部の山が、水面に映って、上下ひっく
りかえって見えている景色を、表現してい
るようにも見える。古代に溜池が有って、
葛城山と金剛山が水面に、映っていたのか
もしれない。
 2枚目は、同じく発掘報告書第4写真
pdfの、写真図版第9の中段左のかなり
大きな甕型土器で、スケッチ図第20の第
38番との旨、ナンバリングされている。
 模様は、写真で右端の縁に近い所に有る
ように、私見される。

名柄泰山2.gif

 上図のように、この古墳時代とされる
遺物の右端の破片に、薄いが縁に大きく、
漢字で「泰」と書いたようにも見える、
グレーの模様が在り、さきほどの遺物同様、
その左だが、今度は左上に、かなり小さく
「山一山」と漢字で書いたようにも見える、
やはりグレーの模様が有るようである。
 2つの遺物で、成立年代がかなりズレる
が、同様な墨書が有るように私には見える。
 山が例えば葛城山だとして。調整池に現
代の御所市大字豊田では、なってしまうの
が難点だが。一例で下のような感じの事を、
言っているのであろうか。

名柄泰山3.gif

 長い年月に亘って溜め池が有り、奈良県
御所市の名柄遺跡の西側の山が、同様の動
機で祀られたのではないかと、私は疑って
いる。都の奈良では、情報の保存状態が、
古墳期~平安期にかけては、かなり良好な
状態だったのではないかと私は疑う。
(2023/03/02)

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