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福岡県福岡市博多築港間で平安末王奔墨書土器(長さん)

今回は、平安末の平清盛が支配した時代
の博多の遺跡で、土器の底に「王様」の
ようにも見える、字は黒々としてはっき
り見える墨書遺物が出土しているとの旨
の話題である。

使用者名で「王壌」等を意図して書いて
いる

と私見する。
 遺物写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
17224_1_都市計画道路博多駅築港線関係埋蔵文化財調査報告Ⅳ.pdf
発掘報告書の表題は、以下の通りである。
博多駅・築港線第4次調査:福岡市
埋蔵文化財調査報告書第205集
1989年、福岡市教育委員会。
 発掘報告書冒頭「調査に至るまで」に
よると遺跡は福岡駅と築港線を結ぶ道路
となっているが正確な地番は発掘報告書
に記載されている箇所を発見していない。
又発掘報告書本文同じく冒頭の発掘調査
の経過によると遺物が出土したのは西暦
1984年前後の事とみられる。
 遺物の成立年代は、遺物は第1069
号土擴で出土したが、発掘報告書第
139ページ付近の記載によると、出土
物の内容から、平安時代末の11世紀前
半成立と見られているように読み取れる。
 遺物写真は発掘報告書写真図版(PL)
第37の最上段左にあり、図版の最下段
欄外に第1069号土擴で発掘された旨
の記載がある。スケッチ図第129図の、
第80番の杯状の土器と同一物とみられ、
発掘報告書第139ページ付近の記載に
よると、発掘報告書でも墨書土器である
と認識され、「王+花押」であると釈文
されているように読み取れる。

博多王奔.gif

 上記のように、墨書は明快であるが、
第2字目が謎である。そこでマイクロソ
フト社のimeパッドで検討すると、
「王壌」等と記載され、恐らく渡来系の
交易業務に携わる人物を意味する人名で
あり、器物の使用者名ではないかと疑わ
れる。
 平清盛が日南宋貿易を仕切っている時
代、現場に大勢の人間が往来/交錯し、
器物に使用者名等を書いておかないと、
紛失してしまうという環境に置かれてい
たと、想像出来ると私見する。(2023/03/21)

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