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香川県大内町原間遺跡で弥生時代の王奔墨書土器(長さん)

今回は2年弱前に本ブログて「馬」墨書土玉、
「(不明4文字)」土器、「1」の文字土器
が出土し「馬」墨書だけ本物であろうとした、
表題遺跡を西暦1998年に発掘し弥生時代
後半の集落跡であると発掘報告書に書かれた
表題遺跡より、もっと鮮明に「王奉」と書か
れた墨書土器が出土し、私のミスでそれを見
落していたとの旨の紹介である。

 香川県の弥生時代の後半に王奉墨書が成立
していたと紹介した、善通寺市龍川五条遺跡
と、類似の例

であるように見られる。
 遺物の写真はweb上に公開されて、以前
紹介した発掘報告書に載っている物品である。
pdfファイル名、発掘報告書の名称(第1
本文pdfの冒頭に在る)、遺跡の場所、
遺物の出土年、遺物の成立年代(第Ⅲ調査区
で以前、2年前に紹介した遺物とほぼいっし
ょである)は、順に次のようになる。
pdfファイル名:
11139_7_原間遺跡Ⅰ.pdf
発掘報告書の名称:
埋蔵文化財発掘調査報告第39冊原間遺跡Ⅰ、
2002年3月、香川県教育委員会・
財団法人香川県埋蔵文化財調査センター・
日本道路公団香川県土木部。
遺跡の場所:
香川県大川郡大内町川東原間(末尾抄録)。
遺物の出土年:
1997年~1999年の間程度(末尾抄録)。
遺物の成立年代:
 前回出土した遺物は、弥生時代後期後半と
みられ、順に次のようになっている。
発掘報告書の85ページ付近に、「馬」墨書
土玉が出土した第3調査区の第7竪穴住居跡
の成立時期が、弥生時代後半後期との旨の
説明がある。
 また、不明4文字土器は、第3調査区の、
第02番溝状遺構で出土したが、成立時期は、
同じく弥生時代後半後期との旨の説明が発掘
報告書第114ページ付近に在る。
 「1」文字土器は、発掘報告書第152ペー
ジ付近に、「第3調査区の第03河川跡から
出土し、共出土した遺物の成立年代が下川津
第Ⅲ期等と記載され、弥生時代末とみられて
いる」との旨の説明が有るように読み取れる。
 今回の遺物は前回の第3番目の遺物と同じ
で、第3調査区の第03河川跡から出土し、
上記のうち「1」墨書土器と、成立年代はよっ
て同様で、弥生時代末と見られているように
私には読み取れる。
 遺物の写真は、今回紹介する「王奉」墨書
土器は、発掘報告書第7写真図版pdfの、
写真図版第201の、最下段左に在り、遺物
番号第730番との旨、ナンバリングされて
いる。高い台付き胚の台の部分のように、
私には見える。

原間王奔奔.gif

 なお、前回紹介した3個の遺物は、
馬と書かれた土玉形が、
発掘報告書写真図版第198の、3段目右側。
遺物番号代377番。
不明の文字の土器が、
写真図版第200の第3段目右で、遺物番号
第622番。
同じく「1」の字のように見える土器が、
写真図版204の2段目左の、遺物番号第
1068番。
以上の順で載っている。
 今回の遺物は、上図のように、かなり鮮明
だが、奉の字が、写真の中央に多重に書いて
あり、いっけん解釈困難である。しかし、

右上に王が書いて有るのに気がつけば、
「王奉」の意図で、杯に貢物を乗せた

のは明らかのように私見する。
 確かに「馬」土玉が鮮明で、他は不鮮明と
いう事では、弥生時代末に「馬」「王」とい
う簡単な漢字なら全て、香川県で使用されて
いたという論にとっては、曖昧だとみられる。
が、今回紹介した遺物から、弥生時代末に漢
字が有る程度書かれていたという事が有って、
なおかつ、実質酋長だろうが「王」と表され
る人物が発掘現場近くに有力者が居たことは、
以前の認識よりは、鮮明になったのではない
かと私見する。
 恐らく当時は「山奉」等の墨書土器も実在
し、香川県善通寺市龍川五条遺跡パターンと、
この遺跡の性格は、類似している疑いが在る
のではないかと、私は考えている。(2023/03/19)

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