熊本県小坂トンネル出口試堀で古代疑歩兵木簡(長さん)
今回は熊本県熊本市の郊外で、古代の木簡
とみられる出土遺物に「歩兵数八少象(戯)」
と書かれている疑いのある墨書遺物が出土し
ているとの旨の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
15941_1_花岡山・万日山遺跡群+新馬借遺跡+北島遺跡群+万楽寺出口遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
熊本県文化財調査報告第266集、
花岡山・万日山遺跡群・新馬借遺跡・
北島遺跡群・万楽寺出口遺跡、2010年、
熊本県教育委員会。
遺物はこのうち、花岡山・万日山遺跡群・
新馬借遺跡に近接した小塚トンネル熊本市街
側出口を、試堀した際に出土したように、
今回紹介した発掘報告書からは、読み取れる
ようである。
発掘報告書末尾抄録によると遺跡の場所は、
記載がないが、熊本県熊本市横手付近とみら
れる。遺物が出土したのは、西暦2018年
前後の事のようである。
遺物の成立年代は、共出土した別の木簡の
様子から古代と私見されるが、発掘報告書に、
遺物が出土した地点と遺物の説明が、私には
発見出来無い。残念である。
遺物の写真は、発掘報告書冒頭のカラー写
真図版第5の左と、発掘報告書の後半の、
赤外線写真図版(PL.)第15:”小塚ト
ンネル熊本駅側抗口試掘調査時出土遺物(遺
物のオモテ面)”の左端に在る。遺物番号は
記載されていない。赤外線写真とみられる後
者の方が、下記のように模様がはっきりと出
ている。
上図のように木簡と私見され、写真の右列
に縦に「歩(空白)歩兵攻八十日東」等と、
漢字が書かれているようにも見える。
無理読みすれば「歩。 歩兵数八少象戯」に、
見えなくもない。
つまり原始平安小将棋が8升目である事を
述べている、11世紀の木簡である可能性が、
ゼロでは無いと、現時点で私は疑っている。
繰り返すが、今回紹介した発掘報告書で、
遺物の説明が、今のところ私に発見出来てい
無いのが、たいへん残念だ。(2023/03/25)
とみられる出土遺物に「歩兵数八少象(戯)」
と書かれている疑いのある墨書遺物が出土し
ているとの旨の紹介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
15941_1_花岡山・万日山遺跡群+新馬借遺跡+北島遺跡群+万楽寺出口遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
熊本県文化財調査報告第266集、
花岡山・万日山遺跡群・新馬借遺跡・
北島遺跡群・万楽寺出口遺跡、2010年、
熊本県教育委員会。
遺物はこのうち、花岡山・万日山遺跡群・
新馬借遺跡に近接した小塚トンネル熊本市街
側出口を、試堀した際に出土したように、
今回紹介した発掘報告書からは、読み取れる
ようである。
発掘報告書末尾抄録によると遺跡の場所は、
記載がないが、熊本県熊本市横手付近とみら
れる。遺物が出土したのは、西暦2018年
前後の事のようである。
遺物の成立年代は、共出土した別の木簡の
様子から古代と私見されるが、発掘報告書に、
遺物が出土した地点と遺物の説明が、私には
発見出来無い。残念である。
遺物の写真は、発掘報告書冒頭のカラー写
真図版第5の左と、発掘報告書の後半の、
赤外線写真図版(PL.)第15:”小塚ト
ンネル熊本駅側抗口試掘調査時出土遺物(遺
物のオモテ面)”の左端に在る。遺物番号は
記載されていない。赤外線写真とみられる後
者の方が、下記のように模様がはっきりと出
ている。
上図のように木簡と私見され、写真の右列
に縦に「歩(空白)歩兵攻八十日東」等と、
漢字が書かれているようにも見える。
無理読みすれば「歩。 歩兵数八少象戯」に、
見えなくもない。
つまり原始平安小将棋が8升目である事を
述べている、11世紀の木簡である可能性が、
ゼロでは無いと、現時点で私は疑っている。
繰り返すが、今回紹介した発掘報告書で、
遺物の説明が、今のところ私に発見出来てい
無いのが、たいへん残念だ。(2023/03/25)