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茨城県岩井市姥ヶ谷津遺跡で5C龍驤墨書土器(長さん)

今回は、古墳時代の遺跡が点在していると
見られる茨城県岩井市の遺跡で、荻生徂徠
の広将棋の駒名である、龍驤と書かれてい
るかにいっけんすると見える、墨書土器が
出土しているとの旨の話題である。

龍「言玄(言へんに玄)」等と書かれて
いると見られる。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
18659_1_姥ヶ谷津遺跡・南開遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告第89集
姥ケ谷津遺跡・南開遺跡、西暦1994年、
茨城県・財団法人茨城県教育財団。
 なお、今回話題にする遺物は、2つのお
互いに近接した遺跡のうち、最初の方の、
姥ヶ谷津遺跡で出土したようである。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場
所は、茨城県岩井市大字幸田字谷津台
1405-1番地。遺物が出土したのは、
西暦1992年前後の言のようである。
 遺物の成立年代は、ここで話題にする
遺物は、姥ヶ谷津遺跡の第8号住居跡より
出土したが、発掘報告書第95ページ
「まとめ」によると遺物の形から古墳時代
中期中頃の、5世紀中頃成立とみられてい
るように、私には読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版
(PL)第19:”姥ケ谷津遣跡、第7・
8・9号住居跡出土土器”の、第3段目左
に在って、スケッチ図27の、遺物番号第
1番との旨、ナンバリングされている。
椀のような形の土器の、側面写真のように、
私には見えるが、胚型土器に発掘報告書
では分類されているようである。

姥ヶ谷龍譲.gif

 上図のように、左にやや寄った部分に縦
に漢字で「龍+何がし」と書かれているよ
うに見える。ただし「龍」の字は時計回り
に倒れているので、そのつもりで見ないと、
見落とす。王や馬ではなくて、荻生徂徠の
広将棋の「驤」に似ていると見れば、将棋
に関連しそうだが、第2字目は、はっきり
しない。ヘンの中央から下が無いが、言
(ゴンベン)と見て、ツクリが「玄」なら、
冒頭に示したようになる。
 「リュウゲン」と読んで「黒龍」を意図
したのかもしれない。玄武の玄と糸へんの
玄は類語のように考える。とすれば、古墳
時代に、茨城県南西の湿地帯の現地で、

当時の沼等に生息されると見られていた
龍神信仰に使用する器物

かもしれない。あるいはそれにあやかって
調合される漢方薬入れか。少なくとも「龍」
という漢字は、比較的はっきりしているよ
うに私は見るので、5世紀中頃に漢字が、
今の利根川流域地帯で成立していた、証拠
と言える遺物の一つなのではないかと私見
される。現代中国語では、第2字目の漢字
候補「言+玄」は「大」の類。日本語では、
「虚偽の」の意味で使われると、web上
からは情報が得られるが、それでも意味は、
はっきりとはし無い。(2023/03/14)

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