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群馬県前橋市上大屋遺跡で奈良時代王龍墨書土器(長さん)

今回は、以前に述べた上大屋遺跡出土の
縄文土器等に「奉馬」「奉行」と書かれ
ているように見えた模様について、E区
第1住居跡以外の地点の遺物の類似模様
を調べて、不可解に早い時代の墨書模様
の真偽性について、考察した結果を紹介
する。

縄文土器の模様は、偶然模様であり、文
字で無いから、縦に真っ直ぐに書かれて
い無い

とみられる。
 以前紹介したので繰り返しになるが、
以下にpdfファイル名、発掘報告書の
名称、遺跡の場所、遺物の出土年を繰り
返して記載する。ただし写真のpdf
ファイルは今度第5ではなくて、第6に
載っている
pdfファイル名は以下の通りである。
16123_6_上大屋・樋越地区遺跡群.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
大胡町発掘調査報告書Ⅲ上大屋・樋越地区遺跡群、
西暦1986年3月31日、群馬県勢多郡大胡町
教育委員会。
 遺物は、表題の最初方の上大屋遺跡の
FないしG地区の八ヶ峰須恵器窯で出土
したとの事である。
 発掘報告書冒頭「発掘調査に至る経過
と調査の経過」によると遺跡の場所は、
群馬県前橋市(勢多郡大胡町:当時)
大胡町上大屋字八ケ峰。
 遺物が出土したのは、西暦1983年
11月から1985年3月までの間との
事であった。
 今回下記に示す、より「本物の墨書」
らしい遺物については、縄文土器ではな
く、古代成立である。すなわち本遺跡の
発掘報告書第5本文pdf”八ヶ峰趾
遺構”の第223ページ付近の記載によ
れば、八ヶ峰須恵器窯の成立年代は、第
7世紀第2四半期の奈良時代と縄文時代
に比べて、はるかに下る。なお八ヶ峰趾
遺構は、繰り返すと上大屋遺跡のFない
しG区にあるとの事である。
 遺物の写真は、最終pdfである、第
6後半写真図版pdfの、写真図版第
100の上段カラム:”広口壷(274
図1~4)”の右側にあり、スケッチ図
第274番中の遺物番号第2番との旨、
ナンバリングされている。

上大屋王龍.gif

 上図のように、いっけんして上部に濃
く王と読める模様があり、第2字目は下
端しか、はっきりとは残ってい無いが、
「奉」のように見える、薄い模様が在り、

縦に、整列して2文字在る。

それにひきかえ、以前に紹介した「奉馬」
墨書遺物も「奉行」土器片も、横に書か
れていたり、字の大きさがチグハグだっ
たりで、同じ場所で出土する朝廷献上物
の入れ物土器とみられる、上図の遺物の
文字に比べて人工感が乏しいことが判る。
 よって、前回紹介した、発掘報告書、
写真図版第22の最上段右側遺物番号
第2番の奉馬模様暖炉壁も、写真図版
第24の同じく最上段右の、第12番
の奉行遺物模様土器破片も、模様は、
少なくともこの遺跡の墨書の書き方には
個体差が極端には無いとすると前回のは、

残念ながら、大発見ではなく偶然模様

の疑いが濃いのではないか。以上のよ
うに私は、今のところ結論している。
 また縄文土器であっても、墨書は時代
が下がっている疑いが、こうしたケース
には良く有ると考えるので。本物ならば
字は真直ぐなはずなのではないかと、私
はやはり疑うという事である。(2023/04/04)

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