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石川県野々市市御経塚シンデン遺跡で3C山兵墨書土器(長さん)

 今回は、石川県野々市市御経塚シンデン
遺跡で、大局将棋の山将を連想させる、
「山兵」と読めるような墨書土器が出土し、
成立が弥生時代であり、その古さから、
「兵」という文字が「王」や「龍」と、同
程度に、漢字としての成立年代が、古い事
を匂わせる出土例の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
12340_1_御経塚シンデン遺跡・御経塚シンデン古墳群.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
御経塚シンデン遺跡・御経塚シンデン古墳、
2001、石川県野々市町教育委員会・
野々市町御経塚第二土地区画整理組合。
発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場所
は、石川県野々市市(石川郡野々市町:当
時)御経塚町。遺物が出土したのは、西暦
1986年から西暦1996年の間のよう
である。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第110
ページ付近のスケッチ図によると、土溝第
17号で出土したようであり、発掘報告書
第52ページ記載から遺構自体が弥生時代
後期から古墳時代初の3世紀前後と考えら
れているようであり、その頃の遺物と解釈
されているように理解される。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第34:”
土坑第4・6・10~13・16・17・
19・33”の下から2段目左に在り、
土坑遺物の番号第56との旨ナンバリング
されているように理解する。広口瓶のよう
な形の土器のように私には見える。大きさ
は、さほど大きく無いようである。

御経塚山兵.gif

 上図のように、写真の左下に横に左から
右に漢字で2文字「山兵」に見えるような、
黒い模様があり、山に籠る兵隊用の酒か、
水入れの瓶を、私的に連想させる。山兵と
いう将棋駒種は、多分存在しないから、日
本の将棋とは関係の無い、弥生時代後期の
遺物であろう。
 しかしながら兵という字の成立が、弥生
時代後期にまで遡れる事を疑わせる、重要
遺物であるように私は疑う。(2023/04/13)

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