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宮城県仙台市陸奥国分尼寺跡で平安前期奔牛墨書土器(長さん)

 今回は、漢字で奉牛と解釈するべきと
見られるが、第2字目が漢字の失念によ
るのか、牛のイラストで代用したのでは
ないかとみられ、発掘報告書では「奉坂」
と釈文されている、宮城県仙台市で西暦
1998年前後に出土した、墨書遺物の
紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に掲載された。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
10171_1_陸奥国分尼寺跡ほか発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
仙台市文化財調査報告書第238集
陸奥国分尼寺跡ほか、1999年3月、
仙台市教育委員会。
遺物は陸奥国分尼寺跡で出土したようで
ある。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の
場所は、宮城県仙台市宮城野区宮千代
一丁目。遺物が出土したのは西暦
1998年前後の事のようである。
遺物の成立年代は発掘報告書第18ペー
ジ付近の記載によると、遺物は第2住居
跡で出土し共出土した遺物の形から、9
世紀から10世紀初のと考えられ、今回
以下に話題にする遺物も、平安時代前期
の、その時代のものと考えられているよ
うに私には読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第
17の旨の下から2段目の左に別コマ写
真形式で提示され、その出土遺物の、右
と左に濃くまた大きく漢字で2文字の墨
書とみられる模様が明快に表現されてい
る。発掘報告書でも「墨書遺物であり
『奉坂』と読める」との旨の本文中での
釈文がある。また遺物番号としては、第
18番との旨ナンバリングされている。
発掘報告書第14ページのスケッチ図下
の説明によると、杯型土器の裏側の写真
のようである。

陸奥国分尼奔牛.gif

上図で「坂」と釈文した発掘報告書の見
解とは異なり、

 第2字目はツクリが「反」では無い

と私見する。検討するとイラストであり、
牛の絵を描いたのであり、牛肉を入れる
食器の意図ではないかと私は考える。根
拠は、右上から左下に線を引いて折り返
すと、ぴたりと重なる図形が描かれ、哺
乳類動物の、顔の性質と一致している点
が挙げられる。
 牛の字を書かなかったのは、仏教伝来
の後で、牛肉を食するのが禁制の状態で、
神道の神への牛肉の奉納を行ったのかも
しれないし、単に牛という字を執筆者が、
忘れただけかもしれない。椀ではなくて
杯であるとすれば、神棚に何時間か肉を
置くのではなくて、単純なツマミ用食材
であって、たとえば酒に酔った勢いで、
字が思い出しにくい状態で、食器にふざ
けて内容を書いただけなのかもしれない。
どちらなのかは、別に決定的な証拠が無
いと、判らない疑いが濃いのではないか
というのが私見である。(2023/04/26)

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