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鳥取県倉吉市大御堂廃寺跡で奔行墨書土器(長さん)

 今回は、複数の墨書土器が出土した
表題の遺跡の発掘で、大半は「久米」
という地名に由来した、「久米寺」、
「久寺」墨書土器が出土し、わずかに、
仏教の「浄」という墨書土器も在ると
された、平安時代初期の出土遺物に
関して、「(何がし)行」と書かれ、
発掘報告書では「仏行」と釈文した
遺物には、本当は「奉行」と書かれて
いるもように見えるとの旨の、紹介で
ある。

当時の遺跡の寺が神仏習合

なのであろう。
 遺物の写真がweb上に公開され、
発掘報告書に載り発掘報告書が、奈良
文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に、登録公開されて
いる。pdfファイル名は以下の通り。
13635_1_史跡大御堂廃寺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書名は、以下の通り。
倉吉市文化財調査報告第107集
史跡大御堂廃寺跡発掘調査報告書、
西暦2000年、倉吉市教育委員会。
 発掘報告書本文末尾と図版の間の
抄録により遺跡の場所は鳥取県倉吉市
大字駄教寺町字大御堂・上場原、
駄教寺町二丁目字大御堂・隅還・
どんと川。遺物が出土したのは、西暦
1996~2000年前後の事のよう
である。
 遺物の成立年代は、遺物は第1土溝
にて出土したが、発掘報告書第62ペー
ジ付近の墨書土器一覧等によると、
「仏行」と読まれた墨書土師器であり、
同じく発掘報告書の第59ページ付近
の記載によると、第1土溝自体が、
かなりの数の土師器の類の形から、
少なくともその地点の土師器について、
は9世紀の平安時代初の成立と、見ら
れているように、読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版
第19の最上段右から2番目に墨書部
分の拡大写真として存在し、遺物番号
第215番との旨ナンバリングされて
いる。発掘報告書のスケッチ図第48:
土溝(SD)第01番出土土師器1に
も、「仏行」等と釈文されたように記
載されている。

大御堂廃寺奔行.gif

 上図のように第2字目も欠けている
ので「行」自体もは残念ながら、確実
では無いように私見する。が「行」の
ようにも読め、第1字目は擦れていて、
更にはっきりしないと見る。私見だが、

「奉行」でも通るのではなかろうか?

 寺が平安初期に在ったのは、久寺
墨書が複数出土している事から明らか
なのであろうが。その寺が神仏習合な
ら、自然を奉じる祭祀も、寺で全く行
われなかったと、断言するまでには
至らないのではないかと私は疑う。
奉行、奔行は将棋の駒名として、多分
無いから将棋には関連し無いであろう。
(2023/04/07)

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