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大阪府茨木市中河原遺跡で弥生中期兵王墨書土器(長さん)

 今回は、墨書遺物の日本での成立年代に
近いと本ブログがみなしてきた大阪府の遺
跡で、漢字で「兵王」のように見える土器
が在り、弥生時代中期に、現地に大陸から
の帰化人によって組織された軍事組織が存
在したような気配が有るとの旨の、遺物の
紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
130937_1_中河原遺跡1.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
大阪府茨木市文化財資料集第84集中河原遺跡Ⅰ、
西暦2023年3月、(大阪府)茨木市教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言により遺跡の場所
は、大阪府茨木市中河原。遺物が出土した
のは西暦1990年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第44
ページの記載によれば、遺物は第2落ち込
み遺構から出土したが、第3遺構面一帯が、
弥生時代中期、紀元前後頃成立の弥生土器
で占められ、以下の遺物も、その類と解釈
されているように読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版
(PL.)第53:”1990Ⅰ調査出土
遺物”の下カラム:”2.第3遺構面SX
2出土遺物”の上段の方の右に在り、遺物
番号第272番との旨、ナンバリングされ
ている。土器の破片のようである。

中河原兵王.gif

 上図のように、遺物写真の右上に漢字で
「兵」のように見える、比較的濃い模様が
在り、その下に縦に「王」と書かれていて、
「兵王」とも読めるように私見される。
 弥生時代中期に、比較的大陸との繋がり
が強かったと、本ブログで議論してきた
大阪府で、軍事組織が存在して、兵を統率
する者が居た事を、示唆しているようにも
取れる疑いが有ると私は考える。(2023/04/14)

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