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富山県高岡市麻生谷遺跡で平安前期泰山墨書土器(長さん)

今回は、古代の宿駅:「川人駅」付近と
される、富山県高岡市の麻生谷遺跡で、
付近の低山を道教の泰山に見立てて奉じ
たとみられる、「泰山」墨書遺物が出土
しているとの旨の紹介と、それと共に、
将棋とは繋がらないが、奈良期の貴重な

絵画土器ではと、疑われる破片がある

との旨紹介する。
 遺物の写真がweb上に紹介され、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
14081_1_麻生谷遺跡・麻生谷新生園遺跡調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
高岡市埋蔵文化財報告書第Ⅰ冊
麻生谷遺跡・麻生谷新生園遺跡調査報告、
西暦1997年3月、富山県高岡市教育
委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の
場所は、富山県高岡市麻生谷。以下紹介
する幾つかの遺物が出土したのは、西暦
1992年~1995年の間のようであ
る。なお遺物は、麻生谷遺跡から出土し、
麻生谷新生園遺跡の東側400m前後地
点にあたる。麻生谷新生園遺跡からの
古代遺物の出土量は少なく、冒頭のべた、
古代宿駅:川人駅付近に近いのは、話題
にする遺物の出土地点の、麻生谷遺跡
本体のように読み取れる。
 繰り返すと遺物の成立年代は、発掘
報告書第87ページ付近の記載から、
遺跡自体が8世紀後半から9世紀にかけ
ての、奈良時代後期から平安時代前期頃
のものと、考えられているように読み取
れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
203:”遺物麻生谷遺跡西暦1992
年度調査地区”の上カラム:”市道地区
 須恵器・土師器・数洲”の第3段目、
右端に在って、遺物番号第1218番と
の旨、ナンバリングされている。土器の
かけらのようである。

麻生谷泰山.gif

 上図のように、写真の右側上の方に、
漢字で「泰」のようにも見える、少し大
きめの模様があり、縦に第2字目がやや
小さめに「山」と書かれているようにも
見える。発掘現場の北部に見える標高は
あまり高く無いものの、景観を形作って
いる、地図で見ると等間隔に並んでいる
地元の連山を、道教の泰山に見立てて、
古代に奉じたようにも見える。
 ちなみに同所が宿駅で、旅行客が古代
に往来した事を示唆するように私見され
る、土器片が共出土しているようである。
 以下は、発掘報告書の同じ写真図版第
203の、泰山破片のひとつ置いて左に
あり、遺物番号第1215番との旨、
ナンバリングされている、同じく土器の
破片のような出土物である。

麻生谷絵画1.gif

 上図のように、顔を上空に向けた男性
と、前に向けて微笑んでいるように見え
る、古代ふくよか顔の女性、それに、も
しかすると、間にもう一人、旅籠の団体
客の余興の司会者のように私には見える、
男性がもう一人、計3人の人物の顔のよ
うな、模様がついているようにも見える。
 そして、右下に縦に漢字で何か2文字
説明書きが書かれているようにも見え、
無理読みすると「干手」または「干の手」
となる。恐らく能登半島の浅瀬で取れた
海産物を使って作成した「干物」の意味
と見られる字であろう。酒のツマミを置
く容器という意図が、個人的に私には、
連想される。旅行客の慰安の為に、宿駅
の旅籠で古代に行う宴会時の、食器の意
図が連想されるということである。
 さらに、発掘報告書の写真図版の今の
べた第203番より少し先に、連番で前
記よりも少し大きな遺物番号第3111
番にも、人物画が描かれている疑いが、
あるようである。

麻生谷絵画2.gif

 発掘報告書の推定通り、後2者は宿駅
から出土する、独特な墨絵土器なのでは
ないかと個人的に疑っている。(2023/04/05)

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