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島根県津和野町喜時雨遺跡で南北朝車走墨書土器(長さん)

今回は、表題の津和野町の前期中世遺跡で、
卒塔婆型の木製品出土遺物に、泰将棋の駒
として存在する「走車」の、第1字目と、
第2字目をひっくり返した漢字で「俥走」
書いたように見える遺物が出土していると
の旨の紹介である。

卒塔婆の戒名と考えられる。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
13722_1_喜時雨遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
津和野町埋蔵文化財報告書喜時雨遺跡、
2000年3月、津和野町教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、島根県鹿足郡津和野町大字田二穂
喜時雨。遺物が出土したのは西暦1997
年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、単独墓と推定された
不明遺構2(SX2)で遺物は出土したが、
発掘報告書第41ページの記載によると、
14世紀、南北朝時代頃成立したものでは
ないかと、取れるように考える。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第6
の下から2段目右にある、木簡ないし卒塔
婆状の木の切れ端であり、遺物番号第
211番との旨、ナンバリングされている。

喜時雨車走.gif

 上図のように、オモテ面とみられる方の
みに、字が少なくとも2文字書いてあるよ
うに見え、発掘報告書では「禅定」と釈文
している。残存のよい部分の字から、戒名
が書かれた卒塔婆と見たようである。字が
明快には残っておらず、12月の意味の
「師走」や、

(ニンベン)俥走も、完全否定は出来無い

と私見する。将棋駒名とは完全合致はして
いない為、異制庭訓往来の時期に泰将棋が
成立していたという説の根拠としては、か
なり淡いであろう。
 無理に連想すれば、泰将棋の成立よりは、
中国シャンチーの南北朝時代の伝来と、棋
譜の木板への木簡としての書き込みが想像
出来るかもしれない。発掘報告書が第3字
目として読んだ「尼」は、「馬」の上部の
ようにも見えなくも無い。しかしながら、
第1字目の上に、その前の中国シャンチー
の相手の着手が書かれているような気配は、
ほぼ無いように思う。発掘報告書の言うよ
うに、卒塔婆へ故人の戒名が書かれている
という単純な可能性が、残念ながら、この
ケースは高いであろう。(2023/04/06)
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